箱白

高次のもの目線、慈悲とは何か(byハイヤー姉さん)

慈悲とは何か、説明できる?

 

 

ハイヤー姉「よし。慈悲とは何か、について話そう」

 

私「おおっと、いきなりすごいこと言い出しますね?」

ハイヤー姉さん

書き手のハイヤーセルフ的な存在。古風な姫キャラ感のある喋り方をする、という設定。

今回の記事はほぼ彼女のセリフ形式。

 

私(書き手)

 

 

 

ハイヤー姉「そなたもそろそろ、慈悲について自分なりに答えることができねばなあ?高次の存在の意図のなど、聞き齧ったところで到底理解しえぬ。……ただでさえ高次の存在の愛は不可解かつ深淵で、大きすぎる」

 

私「……」

 

ハイヤー姉「次元の高い存在の愛は、人間から見たらもう大きすぎてようわからぬのじゃ

 

慈悲、とはまあたまに聞くことはあるし、なんとなーく「神の愛〜的なサムシング」というイメージしかないけど…?

 

ハイヤー姉「これまで、数多の信仰や道徳、思想で「慈悲」は説かれてきた。
では慈悲とはなにか、そなたは答えることができるか?

 

____まず初めに言っておこう、言葉や概念を定義するのは辞書でもどこぞの偉い神でもなく、己自身である。それを踏まえた上で、慈悲についての話をしよう。

 

これは、私(ハイヤー姉さんとそれを聞いた書き手)の解釈である」

 

 

※これは、1〜2年前くらいからハイヤー姉さんにちょっとずつ聞いてた情報を、書き手が自分なりに解釈し、まとめた記事です。

脳内にセリフ的に入ってくるので、口語っぽく書いています。

 

 

神は無慈悲だ、と言われる理由(ハイヤー姉談)

 

「神は無慈悲だ」

人は己が救われぬ運命にあると感じるとき、そのように思うらしい。

人は残酷な世界を生きねばならない、その状況をなぜ「神」が放置しているのか?そう嘆き恨む。
この時、人は神に対しては何を求めておるのだろう?

……「救い」であろうな。

不遇な身を救い助けてくれる優しさとその実力を、人は神に求めるのであろうな。
その時、その瞬間、今ここにある苦しみが取り除かれること。

具体的に、実際的に、今、まさにこの瞬間の己の苦境が改善されること。

それが人の切なる望みであろう。当然のことだ。

では、救いこそが慈悲であるのか?救いと慈悲は同義であるのか?

 

否。

 

救いとは結果である。
なんらかの出来事があって、それによって状況が変わり、その変化を「救いだ」と人が思う。
人はその結果を求めておるのであろう。

しかし、神は結果を与えることはない。神が与えるのは、ささやかなきっかけに過ぎぬ。

それが「慈悲」だ。

なんらかのできことが起こること、それそのものが慈悲の具現である。

そしてその慈悲を「救いだ」と思うかどうかは、受け取る人に委ねられる。

「ご慈悲をお与えください」そう人間が欲するのに対し、神が与えるのは「結果的に救いになるかもしれない機会」のみじゃ。

その与えられた出来事を「救い」にするには、人間がその出来事に気づいて、そして咀嚼せねばならぬ。

そこには手間も時間も要するし、なんなら努力や経験則も必要であろう。

救いとなりうる材料を手に入れても、己でそれを組み立てて救いとして認識する過程が必要なのじゃ。

 

……腹を空かせた者がパンを欲するとき、神が与えるのは小麦粉じゃ。

中には、パンを与える神もおろう。しかし一生食うに困らぬ程のパンを与えることはない。

たった一時、飢えを凌いで生き延びることができる程度しか与えぬ。

そして、そこから先にその者へ与えるのは、やはり小麦粉。そしてパンを作る方法を知る人間と出会えるように手配するだけじゃ。

 

神が与える慈悲は、難解である。
私もたまに理解できぬ。

神は慈悲を与え、対する人は具体的な救いを求める。

慈悲が与えられる者ほど、欲しているのは救いなのじゃ。

_______需要と供給が噛み合っておらぬ。

 

ある神にとって、滅びは慈悲である。
人にとっては災厄かもしれぬ。

ある神にとって、苦難は慈悲である。
人にとってはそんなもの余計なお世話であろうが。

ある神にとって、嘆きは慈悲である。
……酷い話じゃな。

 

 

慈悲の「悲」

これは私がたどり着いたひとつの解釈に過ぎぬ。

それを今一度、強調しておこう。

 

私が行き着いた答えは、
『慈悲とは、己が救うことのできぬものに対し、その事実を受け止め共に悲しみながら一粒の機会をもたらすこと』

 

神は直接、人に対して具体的な救いを施すことはできぬ。

人を具体的に救うのはあくまで人であり、社会であり、物質の世界に存在するものでなければならぬ。

そして、それを救いであると気づくことができるのは、己自身しかおらぬ。

 

 

無慈悲な神の内側

 

人間から見て神が「遠い存在」であるなら、神から見て人間もまた「遠い存在」であろう。

救いを求め苦しむ人間に与えることができるのは、ただ、一粒の機会のみ。
本人次第で救いにも苦難にもなりうる、機会のみ。

 

滅びを慈悲と思うた神は、滅びゆく人を見て何も思わずただ超然と見下ろしておるのだろうか?
人に苦難を課す神は、苦しむ人を見て小さき悩みよと笑っているのだろうか?
嘆きに満ちた世を前にして、それを放置して無視しているのだろうか?

 

いいや。
いいや、ちがう。

 

人が感じる全ての悲しみを、同じ分だけ神は受けている。
そしてそれをどうすることもできぬ、無力な己を悔いて嘆いて恥じて、悲しんでいる。
その気持ちが、慈悲の心である。

 

大きな池から、両手で水をすくう。
指の間、手の隙間、手首の端から、水が溢れて落ちてしまう。
すくう意思が慈しむ心であるなら、すくいきれなかったものへの悲しみが「慈悲」の心であろう。

 

その落ちた水滴を気にも留めずにいるものは、神の器ではない。
落ちた水滴たちが叫び苦しむ姿を見て見ぬフリをするのは、神の器ではない。

神はその落ちた数滴を見て、そのものたちが感じた絶望を受け止め、「今手にすくった水を安全なところへ移したら、次はあなたをすくいに来ます」と誓って一旦その池から離れてゆく。

背中に水滴たちの恨みの声が届くであろう、「神は無慈悲だ」と。
全て聞いておる。
泣きながら、自分の手のあまりの小ささを嘆きながら。

 

だから水滴たちに教える。

「自分たちで、自分たちをすくう方法がある。それに気づいて欲しい」

仮に神がいなくたって、すくわれる方法はたくさんある。

 

自分で自分を救うことのできる方法を知るための、あらゆる出来事。あらゆる日々の小さな重なり。

それを与えることが、神の慈悲である。

 

_______ふふ、

きっと神は無慈悲なのではなく、単に無力なのであろうな。

全知全能、万能、無敵!そんな神は、天にはおらぬ。

 

 

マジで慈悲のない神

…え?でも本当に慈悲のない神もいる、と?人の不幸をなんとも思わぬ無情者がおると?

 

私(書き手)「え、いるんじゃない?てか、ぶっちゃけ私も昔は神は無慈悲でクソだと思ってたしさ…」

 

えーーー…。

そんなものは神格の端っこに引っ掛かっておるくらいのものじゃろ……。

別に仲良くする分には止めはせぬが、そんなものに助言や助力を求めてもうまくいくとは限らぬぞ。

私に言わせれば、そんな神など捨て置け。

認識するだけ馬鹿馬鹿しい。

 

次元が高くなり、霊的な格が上がれば上がるほど人の感覚を持たない超越的な存在となって、感情もなにも無くなってしまう_______そういう説もあるようじゃな。
否定はせぬ。

しかし、格が上がることと感情を失うことは比例してはおらぬ。

 

正直を言えば、慈悲なきものは表面上はとてもやさしいぞ。

やさしさと慈悲は比例せぬのでな。

そなたを良い子いい子、可愛い可愛いと愛でて己の腕の内にとどめようとする神は、きっとまだ修行の途中なのであろう。……慈悲の実践を学んでおるのじゃろうな。

…私自身、こんなことを上から目線で言えるような立場でもないが。

必要とあらば可愛くて仕方ない存在に対しても、崖の下に突き落とす。

……本人には知らせないが、その崖の下にクッションを置いて怪我を予防し、見えないワイヤーをつけて安全を確保しつつ。

いつかそなたを守る存在がどこにもいなくなったとしても、そなた自身が己を救う方法を学んでおけば怖いものはない。この世界を自らの意志と力によって生きていける。

 

神の慈悲は、分かりにくいものよ。

 

具体的な救いを探せ

 

「救いを自力で見つける?今この瞬間を生きるのに精一杯なのに?いや、そんな余裕ねえよ」

 

最もな意見じゃ。

 

では、私からも言おうぞ。

そなたは自らに対して「この方法を取ることはできない」と諦めている道はないか?

「こうであってはいけない」「この道に逃げたら許されない」「そんなことをしたら叱られる」

そうやって非常出口を自ら閉ざしてはおらぬか?

 

そなたは今飢えている。

そんなそなたの目の前にパンがあるのに、「これを食べたらいけない」と思っておらぬか?

もしかしたらそれは、他人のパンなのかも知れぬ。

もしかしたらそのパンは店の売り物で、とても高価で、今は買えないのかも知れぬ。

 

では、そなたは隣人に「自分が飢えそうである」と訴えたか?現状を恥ずかしがらずに包み隠さず素直に申したか?

その店には高価なパンしか売っていないと思わず、その店主に「ちょっと安めのパンはないですか」と聞いたか?

 

 

_____私は優しくない。

だから「かわいそうに、パンをあげよう」とは言わぬ。

私は、己が己自身を救う手立てを学ぶ、その場を提供するのみじゃ。

 

そうとも、高次の存在に具体的な救いなど求めても無駄ぞ。

がっかりすれば良い。神は無力なのじゃ。

がっかりして、現実をみよ。

 

その現実の中に、そなたが救われる手段を用意している。

そしてそれに気づく時を、私は待っている。

 

 

 

 

 

……。

 

私「ハイヤー姉さん」

 

ハイヤー姉「ん?」

 

私「……なんで私は高次目線の慈悲について教えられてるの?これ、私に必要な情報?」

 

ハイヤー姉「私は、無駄なことを教えることはない。そしてこれを踏まえてそなたは生きねばならんからな。基礎情報じゃ」

 

私(ひいいいえええええええええ)

 

 

※高次を認識し始めたころに聞いた情報まとめでした。

今振り返れば、これって自動チャネリングで聞いてた情報なんだなあって今更思った。

 

 

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アーティスト / スピリチュアルカウンセラー|箱白

箱白

霊視、チャネリングを通してスピリチュアルと宇宙の法則を探究をしている【箱白】の公式サイトです。
スピリチュアル的背景を土台にしたアートやイラストも制作したり、霊視カウンセリングもやってたり。

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