私にとっての高次、あなたにとっての高次
「あなたにとって高次の存在ってなに?」と聞かれたら、私なら何て答えるだろう?
……同僚?
もしくは、クライアント…?
崇敬は……してない。
誰かに対して敬意を払う、誰かを尊重する、そういう「人間同士、お互いを尊重しあおうね」と同じ温度感で、敬意や尊重の念はあります。
でも、別に相手が高次だから特別に遜る必要は感じない。フラットにいこうぜ。
そしてありがたいことにうちの高次はそういう関係性を望んでいるようでした。
もちろん、同僚とはいえ私は末端社員みたいなもんなので、高次は先輩や上司にあたります。
でも日本企業のような年功序列制は個人的に好みじゃないので、グローバルな感じの職場なイメージで。
ーーー海外の会社って、先輩でも上司でも社長でも「ハロー、トム!」なんだと聞きました。わお、フラット!
でも考えてみれば、人間と人外が一緒になって同じプロジェクトを動かしてる時点ですでに地球上のグローバル的発想ぶっ飛んでもはや宇宙規模、次元規模なのよな?
じゃあ、海外企業っぽい感じでもなにも問題ないな!?
友達、にも似てるけどちょっと違う
個人的な感情で一緒にいる、仲がいいから一緒にいる、って感覚は実はないんですよね…。
仕事で一緒にいる感じ。
もちろん仲が良いに越したことはないし、仕事を一緒にする上で仲良くなることはあるんですけどね。
やっぱり「同僚」が一番近い気がします。
そしてとても当たり前なんですが、私が仕事をサボると文句を言われる。
……勤怠が悪い同僚が同じプロジェクトチームにいたらそりゃやりにくいよねえ、って感じです。
逆に、私から高次に仕事をお願いすることもあります。
……まあ、個人的なお願いというよりは仕事上必要なことを申請書類に記入して提出してるイメージです。業務上必要なリソースは支給されます。
……が、個人的なお願い事は大抵却下されます。
「そんなん自分の問題でしょ、地上で自力でなんとかしな」と。
まあそりゃそうか、仕事上必要なリソースは経費として負担してくれるけど、私用のはそりゃダメですよね。経費じゃ落ちません。自費でやろう。
そしてもちろん、たとえ業務上必要なことであったとしても「それは経費で落ちません」って言われることもあります。
もーーーーどこまでも会社みたい!
でもなんと私、会社勤めの経験がないんですよねえ、今世。
なんなら会社に就職したこともないです。ずっと個人事業。
なのになんでこんなバックオフィス的な感覚を自分が持っているのか……不思議です。
うちの高次、だいたい「仕事だから」って言う
何かこちらをサポートしてくれて、私がありがとうって言うと大抵こう言うんですよね。
「だって仕事だから」
そりゃ当然対応しますよ、仕事だから。っていうニュアンスです。
「守ってあげよう!」とか「友達だからね!」なんて言われたことないんですよねえ……
「利害が一致するから一緒にいる」とはっきり言い切っちゃうものもいました。
おう、利害が一致するなら確かに仲間だな!
なので、今後状況が変わって利害の一致がなくなれば普通に離れることもあり得るそうです。
※ハイヤーセルフは自分自身なので離れようがないけど、他の高次は出入りがあります。
「うちの」高次、という表現
ところで、よく私はうちの高次、という言い回しをします。
これをちょっと説明させてください。
自分の周りにいる、自分が認識できている高次の存在たちをひっくるめて「うちの高次」って表現してるんですが、
ここでゲーム『刀剣乱舞』の概念を引用させてください。
これ、『うちの本丸』とほぼ同じ感覚なんだ……!!!
審神者(ゲームプレイヤー)の数だけ本丸(ゲームのアカウント)があり、本丸ごとに刀剣男士(キャラクターの解釈)は存在する、っていう発想。
どう言うことかというと、まずゲームアプリが存在します。
そのゲームアプリで遊んで自分のお気に入りのキャラを育てたり、自分で二次創作をしてゲームの内容を自分なりに解釈します。
でも、他のプレイヤーから見たらお気に入りのキャラも違うし、ゲームの遊び方も違います。
自分にとってのゲームの世界と、他人にとってのゲームの世界は、世界観や基本的な情報は一致しているけど解釈が違う。
だから、「うちの」世界と「あなたの」世界は、似ているけど全く同一のものではない。
____そういう考え方です。
そしてこの考え方は、そのまま高次の世界にも代入できる、と考えています。
その根拠は、宇宙の法則より『この世界は、一人称による認識と解釈によってのみ構成される』。
つまり一人称の数だけ世界は存在してるわけで、その世界それぞれに高次の存在はある。
基本的なキャラクター設定や世界観は共有しているけど、それ以上の踏み込んだ解釈は、認識する側によって選別されるわけです。
まあ、ごちゃごちゃ言いましたが要は「私にとっての高次の存在と、あなたにとっての高次の存在は必ずしもいっちしないよね」ってことです。
認識の数だけ存在するものたち
うちの高次でよく他の人の認識の中にも現れる筆頭が「みーちゃん」なんですが、このみーちゃんにも先ほどの考え方が当てはまります。
私「思ったよりもめっちゃカジュアルに他の人のところにも行くよね……最初は信じられなくてびっくりしたけど」
み「正確には俺そのものではないけどな。高次はどの人の中にも元から存在してるわけだし、何も不思議なことはない」
曰く、私のブログや発信によって「みーちゃんのような高次が存在している」と自覚した人間が高次に繋がりやすくなった結果、もともと自分自身の中にいた高次の存在が触発されて認識できるようになった___みたいな。
私「ゲームの攻略サイト見てここに隠しキャラいるんだ!?って気づいた人が実際に自分のゲーム内で同じものを探した結果、隠しキャラに遭遇する、みたいな。そういうこと?」
み「その認識で問題ない」
認識と解釈は、どこまでも自分の内側の世界。
自分の世界と、他人の世界、それぞれを尊重し合えるのが大切だなあと思います。
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アーティスト / スピリチュアルカウンセラー|箱白
霊視、チャネリングを通してスピリチュアルと宇宙の法則を探究をしている【箱白】の公式サイトです。
スピリチュアル的背景を土台にしたアートやイラストも制作したり、霊視カウンセリングもやってたり。
ハイヤーセルフや守護霊様などと繋がる中でメッセージをお伝えしたり、高次の方のビジュアライズもいたします。
ご自身の人生や認識する世界の解釈にお役立てください。
「必要なものに、必要な分だけ、過不足なく、絶対に存在する」