自己紹介2「幼少期〜過去の振り返り」
子供時代
言語がわからないから空気を読んでた
一時期、イギリスに住んでいた頃に現地の小学校に通っていましたが、英語が分からなかったのでguess(勘)で授業を理解していました。
そしてそれなりにやっていけていました。
今思えば言葉そのものではなく、そこに乗っているエネルギーを読んでいたんだろうなあ……
言語ではなく、空気を読んで相手の考えを予想することで、なんとかしてました。
クラスの先生にはよくguessを褒められていました。
会話はほぼ出来ないけどなぜか理解して行動できている、という。
成績も良かったです。
マッサージができない
あと、子供によくある「親のマッサージ」を私もやろうとしたことは何度もありましたが、肩を揉むと自分に吐き気や悪寒がして生アクビが止まらなくなりダウンすることが分かりました。
ええ、やめました。
その頃から他人の邪気や悪いものの影響を受けやすかったんでしょうね……
受験のときの不思議体験
大学受験当日、母に「緊張でお腹が痛くなったらお母さんが引き受けるから!こっちに飛ばし!」と言われて本当に実行したことがありました。
___母は、私の緊張をほぐすつもりで言ったのでしょう。
しかし私は言葉通りに受とって、マジで腹痛を飛ばしました。
痛いの痛いの飛んでいけ(リアル)
私は無事に万全の体調で受験に臨み、ちょうど同じ時間に母は腹痛でトイレの住人になっていたそうです。
母よ、ごめん。
母との協力関係
私の第六感が冴えやすい体質は、半分は遺伝的なものもありそうだなと思っています。
母の実家は、女系でそういった感覚を受け継いできやすかったそうで。
特に長女に強く出やすいらしいのですが、母も私も長女です。
なので、昔は私か母が霊障を起こすと互いに「……なんかやばいの来た?」とふうに教えあって、お互いに対処し合っていました。
霊障って、自分じゃなかなか気づけないんですよねえ……
私は母から盛り塩や御神酒を使った結界などの身を守る術を教わりました。
原理はわからんがやってみたらなぜか自分は回復する、そう経験則で学びました。
一方で、母から教わったさまざまな対処法は効く場合と効かない場合があり、それを実際の霊障と対峙したときに実験しながら「こういうときはこれを試す」と自分なりに分析したり。
……こういうのって本来は一体誰が教えてくれるものなのか分からなかったし、本を読んでも詳しく書いてあるものに出会えなかったので。
だったら自分で方法を探すしかない。
そういうわけで、自分なりに成功率の高い方法や強力な対処法を研究していました。
ちなみに母は昔からスピリチュアルに対して抵抗感はなく、江原さんの本を読んだりオーラの泉を見たりしていました。
今思えば、そのときの知識は母にとっても自衛策になっていたんだと思います。
さらに、祖母は真言宗で毎日おじいちゃんの仏壇に向かって勤行(念仏唱える日課)をしている人でした。
そのつながりで、祖母からご真言を教わった母からご真言唱えて霊障に対処する術も学びました。
使えるものなら塩でもご真言でもなんでも使う。
ちなみに私のお気に入り(?)は「ノウマクサンマンダ」で始まる不動明王のご真言。
子供ながらに身を守る方法として暗記し、反射的にでも口から出るように練習しました。
きっと自分に合っていたのでしょう、めっちゃ効きました。念仏、意外とほんとに効くんだね……(失礼)。
ちなみに、なんで不動明王のが気に入ったかというと強そうだから。
子供の私は「どうせ唱えるなら強い(?)仏に来て欲しい」と思ったんですね……優しく穏やかな仏様だと悪いやつに勝てないかも、と思ってたんです、当時は。
今考えるとものすごーくわかりやすい思考をしてたんだなあ、私……
ご真言、防衛策としてかなり重宝しています。
このように、家族のなかでそうやって霊的なことを理解しあえるのは私と母だけだったので、その協力関係はとてもありがたかったです。
……。
こうやって書いたらばっちり昔からそういうの分かっていたのに、当時は「まあこういうこともあるよね!うん!」って感じで全く深く考えていませんでした。
霊感?まあちょっとはあるかな?くらい。
きっと、当時はデメリットしかなかったから「自分は霊感強い」と認識するのを無意識に避けていたんでしょうね。
だって自覚したらもっと来るかもしれないじゃん。
怖いの、嫌だもん…苦笑
高次をはっきり認識するようになったきっかけ
うつ病になってぶっ倒れたあたりからかな、と思います。
大学で就活が始まる時期に、謎のうつ病で倒れました。
……謎のうつ病、と言ったのは「鬱の症状は出てるけど原因がようわからんし、特徴が完全に一致しないせいで診断がおりない」状態だったからです。
そして、その症状を引き起こした原因がわからない。
一応「これかな?」と原因っぽい出来事や環境の候補はいくつか挙げましたが、これが原因って言われても「そ、そうかなあ?」って感じ。
あんまりピンとこない。
医者も首をかしげるし、こっちもよくわからない。
でも症状は重いし現実問題全く動くことができない廃人状態だったので、休学して薬物治療したり入院したりしました。
そんなこんなで1年ほどかけてうつ症状が少しづつ改善してきましたが、______治らん。
医者の見立てでは「これくらいで治る」という目安はあったのですが、うーーーーん……
そして追加で、謎のパニック発作的な何かが出てくる。
……これも「パニック発作的な何か」なんですよね。
パニック発作っぽいけど、特徴がなんかちょっと違う。
そしてやはり、根本原因が不明。
治療していく上で原因がわかってくるだろう。そう長い目で通院しましたが、何も出てこない。
はい、このパニック発作あたりから霊障のフェーズになっていたようです。
要は憑依状態だったんですね。
しかもその憑依で来ていた霊体が獣系だったせいで、文字通り四つ足でガオオオオオって感じ。
本当に、リアルに、文字通りです。
そして完全に憑依されたくない自分の意識が反発するので、恐怖心がもーすごい。
そして暴れる私を抑えないといけない家族にとっても、そりゃもう恐怖以外のなんでもなかったでしょう。
家族よ、ほんとごめん。
自分は狂ったんだろうと思う日々
ええ、完全に頭がおかしくなった狂人です。
きっと「発狂した」ってこういうことを言うんでしょうね。
私自身も「自分は狂ったんだな」と思ってました。
家族もそう思っていたでしょう。
でもね、
自分の人生なんだよ。
「狂っちゃった、あーあ」で人生を終わらせられるんだったら、とっくにそうしてます。
多分、物語であれば『そして、〇〇は狂ってしまったのでした』で終わりでしょうけれども。
本人の人生は、それまで通り、そこからもずっと続くんですよねえ。
当時の私には、自殺できるほどの勇気も行動力も意思もなかったので、もはや死ぬこともできない。
消去法ですが、生きるっきゃないです。
ということで、主に母が病状を記録して、ケース別に対処の方法を分析するようになりました。
その頃は「病状日誌」という扱いで。
何度も起こる発作(っぽいけど実は憑依)を逐一記録して、共通点を見つけ、対処法を探しました。
この場合はこれが効く、この場合はこれはだめ、みたいに。
私もぶっちゃけ、発作と共に生きなきゃいけないなら攻略するしかないと悟ったので、発作が終わったら記憶が飛んで消える前に、母にすぐ共有して記録を取ってもらっていました。
……発作(というか憑依)の後って、もう心身ともにぐったりなのでとても自分で文字なんて書けないんですよね。
その頃は「文字」がその辺のなんかの糸屑のように見えて、認識できない時期もあったので。
そんな生活を2年くらいして、ようやく察してきます。
………これ、「私」じゃなくね????
どう考えても別人だよな?
てかもはや「人」ですらなくね?
発作は発作でも、パニック発作ってこんな感じじゃないよね?
??????
「なんか、これ病気っていうかさ……ちょっとちがくね??」と薄々勘づき、今まで認識していたものたちがただの妄想とはちょっと違うのかも、と気づき始めました。
この辺りから、じわじわとグラデーションのように謎の病気説から憑依説に移行していきました。
ですので、
私がスピリチュアルの分野に足を突っ込んだのは、___それが病気だと思ってたから。
_____病気じゃねえのかよおおおおおおお!?!?!?
まあ、そうでもしなけりゃ興味のかけらもないスピリチュアルの分野になんて行かなかったでしょう。
自分の人生がかかってると思えばこそ真剣に取り組みましたし、うつ病を治したい一心で自己内観もするようになりました。
____結果的にその自己内観が、スピ的な感覚研ぎ澄ませてたとは思いもしなかったんですよ……
この頃のことを振り返り、ハイヤー姉さん(当方のハイヤーセルフ)は「あれも修行だったなあ」だそうです。
まあ、ちょっとやりすぎたとは反省してるみたいですが。
_____死ぬほどきつかったよ。死ねたほうが楽だったよ。
今となっては「あの経験を避けては通れなかった」と理解していますが、
二度とやりたくないですね!!!!笑
高次へのスタンスがドライな理由
えーー、このような経緯があって、
私の今のスタンスがあるんですね。
「高次は確かに愛ゆえに動くけど、優しくない。普通にきついこともさせる。だからあいつらに私を幸せにしてください、なんて頼んでも無駄」
スパルタ教育を煮詰めて濃くしたようなものたちですが、
そのものたちを信用はしても信仰はしない。自分の人生の主導権も渡さない。
自分の幸せを一番わかっているのは、肉体を持って人間として生きる自分自身だ、と思っています。
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