やりたいことがない。自分の夢や願いを知るにはどうすればいい?
昨今、「好きなことをしよう」「やりたいことをしよう」という、個人としての幸せに価値をおく時代になりましたね。
ところで、あなたのやりたいことって何でしょうか?夢とか、願いとか。_____いや待ってくれよ。意外とこれ答えられる人少ないと思うよ?!って思うんですよ。
やりたいことをしよう、の前の段階です。そもそもやりたいことがわからん!あるのか無いのかもわからんし、なんなら何がわからないかすらわからない!
そういう人、別に珍しくないし実際かなりの割合でいるのではないか?と思います。でも、なんか夢とか目標とかなりたい自分とかが欲しい。
そんな人向けの、やりたいことを探すとっかかりを紹介します。
目次
①大層な夢なんてなくても生きていける
強い言葉で言いますが、諸悪の根源は小学校でよくやる「将来の夢は?」のワーク。あれが全てを狂わせていると思うんですよ。
なりたい職業をみんな書くわけですが、そんな小さい子に夢なんて聞くなよ、わかるわけねえだろ。でもとりあえず書かないと宿題を提出できないから、なんかテキトーに書くわけです。テキトーでもいいから、何か設定しないといけないと思い込んでしまう____これって本質じゃなくない?
大層な夢なんて、別になくてもいいじゃん。誰かに自慢できるような「何か」を目指さないといけない、なんて法律はどこにもないし。
毎日ふわふわのお布団で寝るのが好きなら、ふわふわお布団をキープするために月に一回洗って干して丁寧に使う生活をする、とかさ。良くない?
美味しいご飯を食べるのが好きなら、歳をとっても健康な歯でもぐもぐできるように歯磨きしっかりして歯医者さんに通う、とかさ。それが習慣になってたら、もうほら夢を叶えてる真っ最中じゃん。良くない?
えーー、ここで「日々の小さなことに幸せとか、喜びを見出そうとか、そういう話じゃないんだよなあ」と思った方は、次へ進んでください。
②生理的に無理なことはひとつずつやめろ
生理的に無理なことはやめろ。マッジでやめろ。ひとつずつやめろ。
我慢したり耐えたりする忍耐力が活きるのは、あくまで耐えた先に良い未来が確実に待っているとき。見通しの立たない状況をただただ耐え続けるくらいなら、いっそやめた方がいいです。
いっぺんに全て放り出してやめろっていうのは流石に極端かもしれないので、やめるのは一つずつです。ちょっと試してみてはどうでしょう。
何をどう工夫しても居心地が悪い職場とか。自分に合わないけど損得勘定だけで付き合っている人間関係とか。損得勘定で耐え続けることで物質的に利益を得ているのだとしても、生理的に無理ならぶっちゃけ「損」判定じゃね?
嫌なことを一つずつやめていくと、自動的に状況は多少マシになります。すると日常の中に余白が生まれるので、ちょっと落ち着いてから考えても遅くはないはずです。
「うーん、別に耐えている感覚はないけどな?」って人は次に進んでください。
③最初に除外した選択肢を思い出そう
めっちゃそもそも論なんですが、やりたいことを考えてるはずなのに、無意識で自分のやりたいことを除外している場合があります。
心の声を書き起こすとしたら、こんな感じ?『(本当は地元を出たいけどどうせ親の世話とかあるから無理なのでそれは除外して、これのほかに)やりたいことって何かなあ』みたいな。______自分は最初に何を除外したんだっけ?
除外している内容は、大抵、現実的には実現不可能であると自分では思っている内容です。
……現実的には実現不可能であると、自分では思っている内容です。思っている、つまり実際にそれが正しいかどうか確定していることではないです。
明日叶えられることではないとしても、人生のどこかで叶えられる可能性はあるでしょう。機会って巡ってくるから。それまで機会が来るのを虎視眈々と待ち、来た瞬間に飛びつきましょう。そしてそのための準備をする勇気を持とう。
自分にできる準備を整え虎視眈々と機会を待つ人間が、機会を掴むことができます。
④「うるせえ、黙れ、勝手にさせろ」
で。
色々と読んだり試したり考えたり、試行錯誤、七転八倒、苦悩して迷い続けて努力と挫折を繰り返してみて。
最終的に行き着くのは、
「うるせえ黙れーーーーっ!理屈とか知らねええええ!!!好きにやらせろおおおおお!!!!」の境地ではないかと思います。これは箱白の個人の見解だけど。
『外野がごちゃごちゃ言いやがって!誰も私の気持ちなんてわからないくせに!てか、この記事だって「確かに」って思うところもあるけど「は?」って思う部分もあるし!結局私のことは私しかわからねえんだよ!!!
それと、頑固で頭が硬い自分自身も、うるせえ!黙れ!好きにさせろ!!!!!』
うるせえ黙れ好きにさせろの境地
これを「うるせえ黙れ好きにさせろの境地」って勝手に呼んでるんですが、飽きるほど試行錯誤と自己内観を繰り返したその果てにある、と思っています。なんか一周回って夢とか願いとかどーーでも良くなって、あーはいもうなんか好き勝手やるわ、みたいな。
この「どーでもいい」の感覚は、決して自暴自棄とかニヒリズムっぽいのじゃなくて、もっと根源的な「まあ、結局この世は無だし?犯罪じゃなけりゃ何したって自由だし?好きにするわ」みたいな。ある種の悟りっぽい、軽やかさもある。その軽やかさにプラスして、今まで溜まっていた内圧が爆発して行動力として現れる感じ。
ここからは箱白の事例
ちなみにこの「うるせえだまれ、好きにさせろ!」と思って生まれたのがこの同人誌だったりします。

タイトルにもあらわれている通りです。笑
私の個人の例になって恐縮ですが、ひらきなおって好き勝手しようと思った時に「そういえばエッセイ漫画描きたい」って思ったんですよね。
で、思い出したんですよ。
そういえば、私、子供の頃に漫画描くの好きだったなって。日記の代わりに描いてたんです、学校のこととか自分が見聞きしたこととかを。
そういえば、ふんわりと「漫画家になれたら嬉しいな」って思ったことがあったことを。でも「いや、現実的に考えて無理でしょ。それで食べていける人なんて一握りでしょ」と思い直して思いを封じて、やりたいことから「エッセイ漫画」を除外したことを。将来の夢として認識することを自分に禁じたことを。
私「げっっっ!結果的にさっきの項目に当てはまってる!」
で、結果的に同人誌を描き終えてからめ〜っちゃ満足してほくほくしてる自分を発見して「____これじゃね!?!?やりたいこと、同人誌描くことじゃね?!」ってなったわけです。ウケる〜笑
最後に、この記事の元になったポスト貼っときますね。
https://x.com/white_cube_1_/status/2071509904528134488?s=20
『高次の存在たちがうるさいので、ひらきなおって漫画にしてやる』エッセイ漫画同人誌
商品紹介
関連情報