箱白

他者の幸せを祈る修行。サラッと軽〜く、がポイント【ばっちこい!精神修行】

 

これまでなかなか負荷の高い修行を紹介してきましたが、

『ばっちこい精神修行』シリーズ一覧はこちらのリンクから

 

私「なんかこう、筋トレ系の負荷かけてく感じの修行、ちょっとキツいな……もっとハッピーな修行ないの?明るいやつ……」

 

ハイヤー姉「ハッピー、か。ふむ。では他者の幸せを祈る修行はどうじゃ?」

 

わお!なんか平和そうじゃん!

 

精神修行と言っても、自分に負荷をかけることだけが全てではありません。負荷をかけることそのものは修行の本質ではなく、ほんのひとつの側面。

 

私「毎日感謝!とかそういうキラキラ系は苦手だけど、こうもいつもエグい修行してたらたまには違うのもやりたくなるもんだわ」

 

ハイヤー姉「言っておくが、毎日感謝の修行も人によっては相当きつい類のものであるがな…?」

 

 

 

 

好きな人や仲の良い人の幸せを祈る

 

私「これはできると思う!」

 

つまり家族とか友達みたいな身近な人の幸せを祈るってことでしょ?いいじゃん!

 

ハイヤー姉「待て待て。そうやって自信満々に即答する者ほどこの修行の本質を見誤る。まずきちんと説明を聞け」

 

はい、いきなり出鼻くじかれましたが、え、何、どういうこと?

 

ハイヤー姉「この修行で何を獲得できるか、を先に説明しよう」

 

①エゴの克服と和解

 

ハイヤー姉「まず前提として自分とどんなに親しい人間であっても『幸せ』の価値基準が一致するとは限らぬ。己が考える相手の幸せと、相手が望む幸せな未来が食い違う場合もあることを十分理解せねばならぬ」

 

相手の幸せを祈ることは「相手がこのような未来に到達してほしい」と念を送ること。具体的であればあるほど、相手の望みと一致していなければ相手にとって何の意味もなく、むしろ邪魔な念になりうるわけです。

 

私「ああ……わかりやすい例だとあれだね、良かれと思って高価なプレゼントを沢山してたけど相手は全然喜ばなくて。本当に相手が欲しいのは一緒に過ごす時間だった、とか。そういう感じのすれ違いね…」

 

ハイヤー姉「悪意でなく純粋な善意である分、そこのすれ違いが起こるとややこしい」

 

自分が思う幸せの形を相手が受け取らなかった場合、当然拒絶された気持ちになりますし「こんなに想っているのに報われない」と悲しくなるでしょう。そ れ が エ ゴ な ん だ な 。

 

相手に幸せになって欲しい(※ただし、自分が納得できる形で)

 

 

この小さな括弧付きの条件があると、幸せを祈る修行は終わりません。

 

私「ああああああああ」

 

祈るときは、相手の意思を尊重する

 

ハイヤー姉「ときに、SNSでよく見かけるネットミームがあるな」

 

 

ハイヤー姉「これじゃ!これこそがこの修行にて至るべき境地である!」

 

私「あのネットミーム、そんな感じで見てたの!?」

 

※このネットミームの説明をしますと、実際にニュース番組で放送されたインタビューの一場面です。とある有名な人の結婚が話題となって街頭インタビューが行われた際、「その人をケータイの待ち受けにしていた」と語った男性が婚約をショックだと言いつつ、しかしこのコメントをしたことが話題になりました。(その人が)幸せならOK!と笑顔で言い切れる潔さと気持ちよさ、良いですよねえ。

 

もちろん、エゴは悪者ではありません。自分の素直な気持ちでもあるので、それを無理やり封じるのはそれはそれで不健全。

 

ハイヤー姉「しかしあのインタビューでは、エゴ……つまり自分はその婚約発表にショックを受けたと素直に認めている。自分の気持ちを封じずに、その反応もきちんと己で尊重できている。その上で!相手の幸せの形も尊重できている。___これほど素晴らしい手本があるとはの」

 

 

知らない人の幸せを祈る

 

私「知らない人の幸せを祈る、ね。なんか隣人愛とか博愛とかそういうのっぽいね」

 

ハイヤー姉「自分とは全く縁もゆかりもない誰かの幸せを祈る、というのは明確に意識せねばできぬことじゃ」

 

知らない人、ということはつまり普段自分の認識する世界の外側にいる人ということ。意識しないと存在さえ認識できない人のことです。

 

私「でもそれだと、流石にとっかかりがなくて誰の幸せを祈ればいいのかわからないよ」

 

ハイヤー姉「とっかかりなど日常の中に溢れておるぞ?」

 

とっかかり例①

 

出先で入ったレストラン、すごくおいしかった!

ご飯を運んでくれたウエイターさん、レジを打ってくれたアルバイトの人、(多分)バックで調理してくれた人、ありがとう!

みんなにとっていい日になりますように。

 

私「こんな感じでいいのか!」

 

ハイヤー姉「うむ」

 

 

とっかかり例②

 

電車で目の前の席に座っている、疲れた様子のビジネスマン。

なんか嫌なことあったのかなあ、眉間に皺がすごい。

何があったか知らないけど、せめて今日家に帰ったらゆっくり眠れるといいね

 

ハイヤー姉「自分が何かしてもらったわけではない、ただただその場に居合わせただけで会話もしていない相手の幸せを祈る、というもの大事じゃな」

 

私「そう思うと、幸せを祈れそうな相手ってすごく多いねえ」

 

祈りすぎ注意!あくまでサラッとできる範囲で

 

ハイヤー姉「これを行うにあたって要注意事項じゃ。幸せを祈る時はサラッと軽〜く祈ること。強く強く念じるのは逆効果じゃ」

 

私「えっ、ダメなの?」

 

ハイヤー姉「相手にとって大きなお世話になってしまうかもしれぬし、祈ることは自分のエネルギーを使うことでもある」

 

幸せを祈れそうな相手は実は生活の中にたくさんいる、と気づくと、とにかく誰彼構わずなるべく多くの人に祈りまくりたくなるんですよね。癖になっちゃうの。

 

ハイヤー姉「なぜなら、祈ることは人にとって快楽であるからじゃ。とても気持ちの良いことであるがゆえに、度を過ぎて祈りたくなる。するとどうなるかわかるか?」

 

私「祈ることに度が過ぎるとかあるんだ?ど、どうなるの?」

 

ハイヤー姉「不幸な者をわざわざ探すようになる」

 

私「!?」

 

幸せを祈ることが、いつの間にか幸せが足りていない人を探す視点にすり替わる現象が起きます。すると、身近にいっぱい不幸があるように見えてくる。

 

ハイヤー姉「世界は何も変わっておらぬ。なのに己の視点が変わることで、あたかも世界に不幸な人間がたくさん溢れているように錯覚を起こすのじゃ」

 

私(身に覚えがある……)

 

そうならないためにも、祈る時は難しいことを考えずにサラッと!軽〜く!いい日になりますように♡くらいの加減がちょうどいいようです。

 

苦手な人の幸せを祈る

 

私「おっと、なんか修行っぽくなってきたじゃん」

 

ハイヤー姉「そうじゃな」

 

ここで少し気をつけたいのは、祈る相手はあくまで「う〜ん苦手だなあ」程度の人にすること。決して「憎くて憎くて仕方ない!あいつなんて不幸になれ!」レベルのキッツイ感情を向ける相手ではないこと。

 

ハイヤー姉「そんな負の感情を向けたくなる相手の幸せを願おうとしても、自分に無理を強いることになるのは目に見えておる。無理はするでない。もとより、これは無理せず軽ーく行う修行じゃ」

 

私「祈るにしても、できる範囲でって感じなのね」

 

とっかかり例①


すごく気さくで親切な同僚。

どんな人とも距離感が近くて、人懐っこい性格。

でも私はちょっと苦手なんだよな……どちらかというと静かに過ごすのが好きなんだけど、あの人がいる場はいつも賑やかすぎる。

嫌いじゃないけど、でも一緒にいるのは疲れるから程よく距離を保っていたい。

 

そういえば、あの人今度結婚するらしい。おめでとう、幸せになってね。直接お祝いを言うのは避けたいけど、心の中でお祝いしとこう。


 

ハイヤー姉「幸せを祈るにしても、何もない普段の日常ではきっかけがなかなか無いものじゃが別にそれで良い。それよりも、祝い事や祝福すべきイベントがその者に訪れた時に幸せを祈るのじゃ

 

私「きっかけがあった時に祈れば良いんだ?」

 

ハイヤー姉「苦手な人のことを考えるのは、その分自分にも負荷がかかるであろうが。きっかけがあった時だけで十分じゃ。偶然相手の祝い事や良いニュースを聞いた時に、一旦自分の中の苦手意識は脇に置いておいて祝福するできることが大切である

 

 

とっかかり例②

 


外出中に歩道を歩いていたら、後ろから走ってきた自転車が猛スピードで追い抜いてきた!

こちらが先に気づいていなかったら、ぶつかって事故になっていたかもしれない。

危うく怪我をするところだった……

 

「なんなの、あの運転!ベルも鳴らさずにいきなり後ろから来るなんて、非常識だし危険すぎ!最悪!」

 


 

私「こ、これも?こういう時も相手の幸せを祈るの?事故になりそうだったのよ?」

 

ハイヤー姉「ふふ。もしこんな相手にも祈るとしたら、どのように考えれば祈れるようになると思う?」

 

私「えーーーー…。例えばトイレに行きたくて急いでたのかなあ、とか?」

 

ハイヤー姉「ほう。それは緊急事態であるなあ」

 

私「それとか、家族が急病で病院に向かう最中だったのかも、とか?」

 

ハイヤー姉「ふむ。それはとても冷静ではいられぬであろうな」

 

私「あとは…、仕事に遅れたら怖い先輩に叱られると思って焦ってた、とか」

 

ハイヤー姉「そうじゃな。なんらかの事情があったのかもしれぬな」

 

私「でもそれって結局、私の想像でしょ?本当にトイレに行きたかったかなんて、本人に聞かないとわからないよ」

 

ハイヤー姉「ここで大事なのは、どうすればそなたが心を平穏に保ちながら相手の幸せを祈ることができるか、である。実際に相手がトイレに行きたかったかどうかは、本質ではない

 

一見、その相手は自分に危害を及ぼすかもしれなかった人物。その点は紛れもなく事実であり、覆ることはありません。しかし何かやむを得ない事情があったのかもしれないと想像することで、相手に同情や共感する余地が生まれます。

 

いわゆる、「相手の目線に立って考える」とか「相手の事情を思いやる」ってやつです。

 

ハイヤー姉「少々強引ではあるが、相手にもなんらかの事情があったのだと想像し擁護する観点を持つことがポイントじゃな。これができると、自分に不都合な出来事があっても怒りや悲しみに飲み込まれる前に「ちょっと待てよ?相手にも事情があったのかも」と己に問いかけることができるようになる」

 


 

危ない運転をする人だな、と思ったけど、もしかしたらトイレに行きたかったのかも。

そりゃあ深刻な緊急事態だよねえ。私もトイレ行きたくて限界で焦ってたら、多少荒い運転しちゃうかも。

 

私「あの人が無事にトイレに間に合いますように」

 

ハイヤー姉「いや、トイレと決まったわけではないのだがな?」

 


 

 

 

許せない相手の幸せは祈らない

 

先ほどは相手の事情を想像して擁護できそうな点を祈りにかえる、という感じでしたが……しかし実際のところ、世の中にはどう考えても擁護できねえわって感じの人もいますよね?一定数。ていうか、なんなら憎くて仕方ない人もいますよね。

 

ハイヤー姉「いくらなんでも憎悪を向けるほどに嫌いな相手の幸せを祈るのは無理であろう。無理はするでない。中身のない祈りなどやめておけ

 

私「あっ早々に放棄した…!」

 

祈る行為は他者から強要されてするものではないし、自分の心を押し殺して「私はどんな相手にも幸せを祈れるようにならなきゃ」とノルマのように課すものでもありません。

 

 

「嫌いなもんは嫌いじゃばーか」

 

ハイヤー姉「これを自覚できるのがまずは大事じゃ。嫌いなもんは嫌いじゃ。己の本心を誤魔化しても無駄ぞ

 

私「いいのかそれで…」

 

ハイヤー姉「良い。これを自覚することは即ち、己に忠実であるということ。己の心に蓋をしないということじゃ」

 

そしてこれを自覚できたら、相手を呪わないことに専念します。どっちかというとこれこそが修行でしょう。

 

私「あいつなんて不幸になればいい。私と同じ目に遭って苦しめ。……自分が直接迷惑をかけられたり危害を加えられたりしたら、そりゃ誰だってそう思うよね」

 

ハイヤー姉「思うことは誰にも止められぬ。せめて、具体的にどうなればいい、みたいな青写真を思い浮かべる前に、別の思考に乗り換えるようにすることじゃ

 

 

 

祈れない自分を許す

 

元々優しい性格の人や許せない相手が身内や親しい人の場合、「相手の幸せを祈れない自分」を嫌悪してしまうことがあります。自分は心が狭いのか、性格が悪いのか、と。

 

ハイヤー姉「心が狭くて性格が悪いものは、そんなことで自責せぬわ。率先して相手の不幸を願って呪いを飛ばしまくり、そんな己を英雄視するものじゃ

 

私「それもそうか」

 

許せないほど嫌いな相手がいるということは、それだけ自分の身を守りたいと強く感じた証拠です。その憎しみの根源を辿れば、どこかに自分を大事にしたいと願う自分がいるはず。そんな自分を責める必要はありません。

 

ハイヤー姉「人を憎んでしまうことに罪悪感を覚えるなら、それは自己愛を持つ自分をまだ発見できておらぬということであろう。望むのであれば、ここを起点として自己内観を始めることもできるぞ」

 

 

 

祈りの修行のコツ

 

サラッと!軽〜く!思い出した時にやるだけ!

 

ハイヤー姉「決してノルマにせぬこと。仮に目標として1日3回誰かを祈ろう、と決めたとしても、目標を達成することに執着してはならぬ」

 

祈ることが負荷になってはならない、というのが最大のポイントのようです。あくまで無理せずできる範囲で。仮にうまくできなかったとしても「ま、そういうこともあるよねっ!」くらいで深刻に考えず流しちゃって大丈夫です。

 

私「そう思うと、確かに今までの修行とはかなり毛色が違うね。頑張る感じじゃなくて、むしろ肩の力抜いてやる感じね」

 

ハイヤー姉「己にノルマを課すことに慣れている者ほどこれが難題なのじゃ。さら〜〜っと、であるぞ」

 

なんだか「リラックスして〜」って言われてもなかなか筋肉の緊張がとれなくてストレッチできない、みたいな。なんかそういう方向性の難しさを感じます。

 

ハイヤー姉「他の修行をやる合間に、ちょっと疲れたから息抜きしよ〜〜みたいなテンションでやるのがおすすめじゃ」

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