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『保留』の修行。未知への恐怖を受け入れ、答えを選ぶために【ばっちこい精神修行】

さて、この「ばっちこい精神修行」シリーズ、一筋縄ではいかないことばっかじゃねえか!と思われてきてるところで。

 

今まで積極的に思考することや自ら動くことに着目したトレーニングを書いてきましたが、修行は何もそれだけではありません。

 

積極的に、何もしない。

何もしないことを選ぶ……そういう修行も実はあったりします。

 

ハイヤー姉「今まで紹介したものとは全く別のベクトルからの修行じゃ」

 

今までの修行を腕立て伏せやジョギングのようなものだとするなら、これから紹介するのはプランクのような体幹トレーニング。動かない!じっとする!キープ!がポイントになるトレーニングです。

 

 

未来を悲観しない自分になるために

 

この修行で目指すのは「わからないことが怖い」を克服することです。

 

現実を変えるために必要なのは、とにかく行動と内観。それはたしかにその通りなんですが、その弊害として「分からないことがあると怖い」__そんな葛藤から焦りが出てきて判断力が鈍ることがあるんです。

 

私「これね……今までやってた積極的に自己内観とか現実的に動く修行と一見真逆のことをするように見えるんだよね」

 

しかし、ここでは反対にわかんねえことはわかんねえから仕方ないよねっ!ハハッ!をやります。

 

ハイヤー姉「一見、矛盾しておろう?ふふふ、これもヤヌス思考で捉えよ。分からぬことを探究することと、分からぬものを未知のまま受け入れることはどちらも矛盾せず両立可能である。そしてそれができてはじめて、中庸を知ることとなろう

 

 

 

大前提。人間は未来がわからない

 

これはものすごーーーく当たり前で普通なことですが、人間には未来が見えません。

 

例え予測はできても、完全に「未来はこうなります」ってわかることはない。なぜならそれが時間という概念の中で生きるということだから。

 

天気予報もそうです。予報はできてある程度の精度を出すことはできても、完全に100%当て続けることはできません。雨は降らないって言ってても、ゲリラ豪雨が突然やってくることだってあります。

 

ハイヤー姉「人間がいかに未来を見据えても、完全に未来の己がどうなるかを観測することは不可能じゃ。仮に観測できたとしても、それは一つの世界線においてそうなる、というだけのこと。別の世界線も同じとは保証できぬ。そしてなんなら、我ら高次の視点からも完全に未来を観測することは不可能である」

 

私「へえ、そうなの?高次の存在にも未来ってわからないのね」

 

ハイヤー姉「人間からは未来のことは全く見えぬであろうが、我らからは逆に全ての可能性が見える。ただ、実際にその無数に並列する可能性たちのうちのどれが実現するのか?の保証はできぬのじゃ」

 

私「あー…選択肢多すぎて逆にわかんなくなる、みたいな感じに近いのかな?」

 

人間からは、見えなさすぎてわからない。高次からは、逆に見えすぎてわからない。

 

ハイヤー姉「元々、可能性とは『そうなるかもしれぬし、そうならぬかもしれぬ』という概念じゃ。その定義がある以上は、確実性がないのが前提よ」

 

まるでサイコロを振るように、どんな目が出るかわからない。わかってしまうとそれはイカサマになるので、そもそもゲームが成立しない。

 

ハイヤー姉「つまり、なんらかの可能性を考える時限りなく確実っぽいけどそうじゃない可能性もちょっとだけ残っている、というのが得られる情報の上限なのじゃ」

 

私「つまり、絶対とか必ずとか、そういうのは存在しないってことになる?」

 

ハイヤー姉「さて、どうであろうかの?絶対という概念など存在せぬ!と言い切ってしまうと、それはそれで私の言葉に説得力がなくなる。ゆえに存在しないかもしれぬ、と言っておこう」

 

私「んーーそう言われるとなんかモヤッとするね……はっきりしないっていうか」

 

ハイヤー姉「そこじゃ。人間ははっきりせぬことをはっきりさせないとストレスが溜まる。そのストレスを自覚しつつ受け入れるのが今回の修行であるのじゃ

 

 

 

「絶対」という甘い毒

 

近頃、よくSNSで見かける『断言します。〇〇したい人は〇〇してください』構文。あれは未知への恐怖から逃れたい人間の本能を刺激する、見事なコピーライティングだと思います。

 

ハイヤー姉「人の注目を集めることに特化するなら、あれほど効果的なものはないであろうな。ただし、集まるのは皆未知への恐怖を受け入れられなかった者たちであるが」

 

私「最初からそういう人をターゲットにしてるんだろうし、いいんじゃない?私は好きじゃないけど」

 

ハイヤー姉「まるで遅効性の甘い毒じゃな。断言してもらえれば一時的にでも悩みから解放される。それが本当だろうが間違いだろうが、そこはさほど問題ではない。あの構文から得られるのは、ひとときの安心じゃ」

 

心が弱った時、疲れている時、何かで迷って自分で決められない時、全てがめんどくさい時……人は明確な答えを求めます。そりゃそうだ。だって、恐怖って未知から生まれるんだもの。

 

ハイヤー姉「恐怖は未知から生じる。たとえ目の前にお腹を空かせたライオンがいたとしても、100%絶対に何があってもそなたを食わぬと確証があれば、そこに恐怖は生まれまい?」

 

私「そうね。もしそれでも恐怖を感じるとしたら、『100%絶対に食われないってハイヤー姉は言ってるけど、それ信じていいの?』って部分になるだろうから……うん、やっぱりそこに1%でも危険な可能性を見出したら、怖くなる」

 

ハイヤー姉「だから『絶対』や『断言する』を謳う者を見た時、その真偽を判別するために発言者が信頼できるかどうか?を皆気にするのじゃな」

 

私「ああ、それはそうかも。そういう投稿についてる批判的なコメントって、一定の割合で『こういうアカウントは信用できない』っていう内容だよね」

 

ハイヤー姉「しかし残念なことに、発言者の信頼性をジャッジしようとしている時点ですでに可能性の罠に嵌っておるぞ。なぜならどれほど信頼性を論じたところで『100%信頼できるかどうか』など結論が出るはずがないからじゃ

 

 

不確実性と共存するトレーニング『保留』

 

ハイヤー姉「さて!ここからは不確実性との共存トレーニングじゃ」

 

①「今は結論が出ない」を現時点での結論にする

 

『今は結論がでません!分からん!一旦保留!今日はここまで!よし、寝る!』

 

私「ぐるぐる思考で沼にハマってる時に一番できないやつーー!」

 

難しいことを考えすぎて深夜寝付けないとか、ありません?そういう時こそ、このトレーニングをする場面です。

 

ハイヤー姉「思考の沼にハマっている時、なんとかしてそこから脱しようとするじゃろ?トライするのは悪いことではないが、どれほど頑張っても沼から抜けられぬ状態にあるときはそこにこだわること自体、無駄である」

 


思考の沼から脱することが
できない場合の特徴

 

・睡眠不足、栄養不足、強い疲労(→エネルギー不足)

・焦燥感が強い、時間に追われている場合

・直前に大きなトラブルがあった時

・情報不足、思考できるだけの十分な情報が手元にない


 

何をどうやっても結論が出ない、というのを自覚したら、その結論に素直に従う。そして、現時点の自分の状態を自覚する。これができて初めて、健全な思考ができるようになります。

 

私「焦ってる時とか眠い時に考えても、結局いい結論って出ないよね」

 

ハイヤー姉「思考にしがみつきたくなる気持ちもわかる。しかし高次の立場からしても、健全な状態でない者に思考の材料を与えたところで、大抵無視されるか曲解されて余計に事態を拗らせることになるか、の未来しか見えぬ。であれば、思考の材料を渡さぬ方がマシであろう?」

 

今は分からない、を一時的に結論にするのって、慣れてないと実はものすごくストレスになるんですよね。ただ、実はこの場合ってストレスは増えてもいないし減ってもいないんです。だって、何かを考えようが考えまいが、分からないことは変わらない。現状維持だからです。ストレスも現状維持。増えていません。

 

ハイヤー姉「ストレスから逃れようとして、でも今はできない、という事実に対する悲しみはたしかにあるかもしれぬが。ただ、それは今あるストレスを改めて自覚しただけにすぎぬ。ストレスがさらに増えたと感じるのは、錯覚じゃ」

 

私「ちょいまち。今はできないっていう結論ってさ、ときに人を絶望させるくらいの強烈さがあるっていうのを分かってて言ってる?」

 

例えば、耐えられないほどの悲しみや苦しみを感じている人に「今はその原因も解決方法もわかりません」を突きつけるのは、その人の希望を奪うことになる可能性もある。

 

ハイヤー姉「分かった上で言っておる。だからこれが精神修行と呼ぶ所以である。ただし勘違いするでない、これはあくまで己の内側で行う修行であるぞ」

 

修行とは、他人から突きつけられたり押し付けられたり、強制されてやるものではありません。あくまで自分の意思で行うことであり、その事実を自覚するのも受け入れるのも自分自身でなくては意味がありません。

 

私「自分で今は分からないって自覚して、納得して受け入れないとただ苦しいだけ…ね。それはそうだわ」

 

※あ!間違っても「メンタルを鍛えるためにこれをしたらいいよ!」みたいに弱っている相手に押し付けないでくださいね。骨折してる人に筋トレ勧めてるようなものですから。

 

 

 

 

 

②「〇〇かも」でキープ!

 

色々考えてみたけど、でもバシッと結論が出ない。「〇〇の方がいいんじゃないかな〜〜」くらいにしかならない。

 

ハイヤー姉「それでも構わぬ。不確実だが可能性はある。それ以上考えてもどうにもならぬのであれば、現時点でのそなたには結論を出せるだけの材料が手元に揃っておらぬということじゃ」

 

例えるなら、完成図の分からないジグゾーパズル。ひとつずつピースをはめていって、完成図ってもしかしてこんな感じ?という予想はなんとなくできるようになったけど、まだ全体が分からない……

 

ハイヤー姉「ジグゾーパズルと大きく違う点を挙げるなら、最初から手元に全てのピースが揃っているわけではない、ということじゃな」

 

私「なんだその引っ掛け仕様…!」

 

ハイヤー姉「人生をパズルに例えるならば、必要なピースは定期便で複数回に分けて徐々に揃ってゆくものぞ。初めから揃っているわけがない!でなくば、わざわざ時間軸が一本しかない世界に生まれた醍醐味がなくなってしまうではないか」

 

私(人間離れした価値観ぶっ込んでくるなあ……)

 

パズルのピースが揃っていない状態でパズルを完成させるのは物理的に不可能。であれば、今すぐにそれを完成させようと固執するのは無駄、ということになります。

 

ハイヤー姉「〇〇かもなあ〜〜…to be continue!で一旦キープじゃ」

 

え?やっぱりもどかしい?モヤモヤする?スッキリしない?

 

____そこなんですよ。その不明瞭でなんとも言えないぼやあっとしていることに、結論を急がないこと。これが精神面での体幹トレーニングのようなもの。『保留』の修行です。

 

 

 

自分で出した結論を受け入れる

 

ハイヤー姉「人生とは幸福の追求と同時に、恐怖との共存を受け入れる道でもあるなあ」

 

私「また哲学的なこと言い出した…」

 

人は結論を求めます。ただし、自分にとって理解できる結論であることが条件ですが。

 

ハイヤー姉「私がそなたに世界の真理をホイッと教えても別に何も問題がないのは、それゆえぞ。教えた真理がそなたにとって理解できなかったり受け入れ難いものであれば『ふーん』で終わりじゃ。どれほど説得してどれほどわかりやすく説明しても、ピンとこなければスルーして忘れる」

 

私「なんなら『そんなのが真理なわけあるか、ばーか』って反発することもあるよね」

 

ハイヤー姉「……散々罵られたなあ、ふふ」

 

私「ごめんて」

 

ハイヤー姉「まあ良い。情報として真理を伝えたところで、実感がなければあまり意味がない。だからこういったブログの内容も、ある程度内容に心当たりのある者が読まねば『なんか言ってら笑』で終わりなのじゃな」

 

___これは何も真理に限ったことではなく、思考によって得られた結論に対しても同じことが言えます。

 

仮に結論が出たとしても、それを受け入れられない。頭でも分かってるし、気持ちの面でもその方がいいって分かってる。でも、納得できない。

___そういうとき、その結論の正誤を問いたくなるものですが、正誤とは別の軸の「自分の中にそれを受け入れられるだけの経験と実感がまだ足りていない」というケースもあるようです。

 

ハイヤー姉「結論が出ても受け入れられぬのであれば、まずは時間をおけ。一旦その思考から離脱せよ」

 

私「簡単に言うよねえ。離脱しなきゃって思ってもできない時はどうすればいいの?」

 

ハイヤー姉「まずそなたの肉体を風呂に持っていけ。次に洗面台に向かって歯を磨き、あとは布団かぶって眠れ」

 

私(げ……それ私普段からみーちゃんに言われてるやつだ)

 

 

 

 

 

 

 

余談。私個人の体験

 

この「確実を求めれば求めるほど、実は確実なことなんてない」を思い知らされてゆく工程。これが精神修行になるなんて……

 

私「趣味わるっ」

 

ハイヤー姉「ふっ、そなたに悪態をつかれるのはもう慣れたわ」

 

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……これは私の経験上の話になりますが、この問題に直面したのは自分の体調不良と向き合った時でした。

 

______「これは精神疾患か?霊障か?自分の身に何が起きているんだろう」問題。

 

この問題の厄介だったところは、だいたい全部自分の脳内(内側)で起きていることなので外に答えを求めても無駄ってことでした。いえ、最初は外部からの情報をかき集めて判断しようとしましたが、無理でした。

 

自分の内側、しかも心の中で起きていることは第三者から証明してもらうことなど不可能。そしてなんなら、自分自身の思考回路や精神がまともじゃなくて狂っている可能性も考えなくてはならないので、自分の思考や感覚そのものが疑う対象でもありました。そしてそれを疑っている自分自身もまた、確かである保証がない……

 

 

 

 

 

ね?わけわかんないでしょ?

 

 

 

 

 

ただ、わけわかんないのにしっかりガッツリ身体的症状は出るし生活はできてないので、客観的事実として「やばい」というのはわかりました。

 

私「で、最終的にああああもう良い!霊障だか精神疾患だか知らん!てか、わからん!でも目の前に現象はある!どっちでも良いから目の前のことに対処してやんよ!って切り替えたのよね」

 

要は、それがなんなのか?原因は結局なんなのか?それを特定することを一旦やめて、目の前の現象を対処する方針にしたわからない状態を一時的にでも受け入れたことで、次のステップに進めた。ということでした。

 

ハイヤー姉「霊障でも精神疾患でもどうでも良い。それが本質ではない、と気づいたからこそであったな」

 

私「まあその次に待ち受けてたのは、やっぱり頭の中のものは妄想か霊的なものか?の問題だったんだけどね」

 

ハイヤー姉「そして、その次は私のことを悪霊か高次の存在か?と悩んだのであったなあ」

 

ええ、悩んだよ。病んで死にたくなるほどね。ちなみに、こんなブログとか漫画とか書いてますが私の認識している存在ももしかしたら霊的なものでもなんでもない、ただの妄想である可能性はあります。そう!インチキかもしれないということです!今でもなお、その不確実性は変わりません。

 

私「これを高次の存在である、と解釈することを選んだのは私だからね。それが本当かどうかは、誰にもわからない。可能性の話をしたら、答えは出ない。最適解を選ぶだけ」

 

ハイヤー姉「何度でも言うぞ。私の存在が妄想か高次の存在であるか?など些細な問題である。本質は何一つ変わらぬし、私の愛もそれで揺らぐことはない。そなた自身で納得のいく解釈を選び、それに責任を持つと覚悟を決めた。それが全てじゃ」

 

最後には、自分が選んだ可能性が確実でなくても、自信がなくても、そこに「それでも選んだのは私だ」と責任を持てるかどうか。なのだとか。

 

 

「確実なことってなんだろう?」を突き詰めた先にあったもの

 

ちなみに。

 

私がこの問題にぶち当たったときに病みながらたどり着いたのは、

 

『確実なものなんてこの世に何一つない。でも、そう思っている自分の認識が存在していることは、疑いようもなく事実』

 

ってことでした。

 

ハイヤー姉「ま、何事も突き詰めればこの結論になる。ゆえに、その思考にたどり着いたそなたに対し私はこの真理をそなたに開示した」

 

この世界は、

一人称による認識と解釈によってのみ、

構成される。

 

私「だーーーーーー!そっか!結局この修行の先にこの認識と解釈の話が出てくるわけね」

 

 

結局、答えは自分で選ぶもの

 

ハイヤー姉「絶対的に正しい答えなどあるものか。あるのは数多の最適解じゃ。そして見つけた答えを最適解である、と己の意思で決めるしかない」

 

つまり、「もしかしたらこれは答えじゃないかも」の可能性を残したままそれでも私はこの答えを選ぶぜ!ができるようになること。そして、仮にそれが間違いだったとしても選んだ責任は自分で取る。そう覚悟をすることが、未知の恐怖を受け入れつつ克服する中庸の道なのだそうです。

 

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高次の存在とうっかり繋がってしまった人間が脳内会話で世界について教わりつつ、目に見えない世界の摂理を考察しています。 高次のものから聞いた話や真面目な話を、対話式でテンポよくコミカルに書いてます。 ブログやnoteで書いたものの加筆修正、リライト版です。より分かりやすくなってるはず。   ※完全な憑依で脳に情報を下した…

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あらすじ うつ病で倒れたあと、なんとか回復してきたものの依然2つの謎の精神疾患の症状は残っていた____ 本書は、その謎の精神疾患と対峙する様子の記録とまとめです。   「獣の衝動」と名付けた一つ目の症状は、その名のとおり、発作的に獣のように吠えて泣き叫ぶもの。パニック発作によく似ているが、どうにもちょっと違和感があ…

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