箱白

自分語り。多面的な性格でもいいじゃん〜

これ、よく言われるんですが、Twitterでの発言の印象と実際の様子、だいぶ違うらしい…!

 

あのオラオラ強気喧嘩上等だぜの態度は、対人ではなく対高次(と対霊体)用なんですううう…

 

社会生活とかコミュニケーションとか、人間として生活をしてく中で培った性格はむしろ温厚な方です。

 

なんで高次に対してはあんなに強気なのか?

 

高次が強いから、あれくらい出力高めていかないと負けるんですよ……

 

うちの高次は「ぽよよん❤︎優しいよ」のタイプが少数派なので。

 

いや、ほんとは高次に対しても穏やかでいながら、かつ飲み込まれないのが一番いいんですけどね…その辺は私の未熟ゆえに、できていないところです。

 

それと、Twitterやブログで存在を明かすことができる存在は大体みんな安全なものたちなんですよね。公表はしてない(できない)けど、色々と拗らせたものと対峙する時は丹田に力入れて気を高めないとこっちがやられてしまうので。

 

元々この世界に足を踏み入れるきっかけが霊障であったこともあって、自分にとって高次との対峙は「対峙→時々バトル→和解→仲間になる」が定型化しているように感じています。少年漫画か。

 

そういうこともあって、どうしても高次の話になると強気モードが出ちゃうんですよねえ……

 

でも、対人間用のモードではないので……ご安心ください…(?)

 

 

人間としての私

 

魂としての性格と、人間としての性格って大なり小なり差が出るものだと思います。

 

人間としての私……というか対人コミュニケーションの場での私はむしろ温厚だよ…多分。これは今まで生きてきた経験と教訓の蓄積の結果、「こうした方が色々と都合がいい」と思って形成された性格。後天的な性格です。

 

……人によってはこの後天的な性格を「本当の自分じゃない」「取り繕った自分」と感じることもあるようですが。

 

でも思うんですよね、それって学習によって得られた成果のうちの一つじゃんって。

 

裏表のない性格の方が正直でいい、みたいな考え方もありますが、私はどちらかというと「人間なんて多面的で当たり前。二面性、っていうよりもはや何面あるかわからないくらい自分の性格も多様性があって良くない?」と感じる派です。

 

なので、人に対しても相手によって普通に態度を変えますし、自分の考え方も使う言葉も価値観も相手によって変わります。

 

でも別にこれは相手に合わせているわけでも同調しているわけでもなく、変えることの方が自然だと感じるからです。

 

実際、Twitterやブログでの「箱白」の人格も発信用の一面ですし。プライベートや家族の前での私は、結構全然違う性格だったりします。

 

 

 

どれが本来の自分?と言われても、全部本来の私です、って感じ。

 

本来の自分がたったひとつだとは限らないじゃない?そもそも魂レベルで考えたらどこからどこまでの範囲を「私」とするか、の概念から違うんだから。

 

※「私」の範囲についてのブログ記事↓

 

 

 

 

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