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スピ好きな人が陥りがちな「解釈癖」とは?【人生攻略考察】

 

 

 

 

 

スピリチュアルな人がよく言うこと。

「世界は全て必然でできてる」「すべての出来事に意味がある」

 

例えどんな悲しい出来事でも、苦しい状況でも、自分がその場にいることには必ず意味があるし理由がある。いろんなところで聞く言葉です。

 

 

 

でもね、

 

 

 

 

 

何でもかんでも解釈したらいいってもんじゃないんだよな!

 

今回は、スピリチュアル好きが陥りやすい「解釈癖」について書いてみます。あ、もちろん私もバッチリこれに陥って大混乱したことがありますのでご安心ください(?)。

 

 

 

 

 

起きた出来事を解釈すること

 

この記事で言う「解釈癖」とはどういう行動を指すのか?まずはそこからはっきりさせていきましょう。

 

解釈とは、起きた出来事に対して意味づけすること。そしてそれが癖になったりやめられなくなったら「解釈癖」と呼ぶことにします。

 

ちなみに、解釈の典型例を挙げてみると、こういうやつです。

 

「鏡が落ちて割れてしまった。これは何か不吉の予兆かもしれない」

 

起こった事実だけをみると、①鏡が落ちた②その結果、割れた。この2点です。その事実に対して、その背景に何らかの力が作用している、と仮定することで「不吉の予兆かも」と解釈する。この連想ゲームのような思考法を「解釈」とここでは呼称します。

 

 

 

ハイヤー姉「日常の中で身近に起きるちょっと珍しい出来事に対して、何らかの意味づけをすること。スピリチュアル好きにはよくみられる傾向じゃな」

 

私「___なんでハイヤー姉がそんな世間一般のこと知ってるの?」

 

ハイヤー姉「え、そなたを通してSNSとかで見ておる。たとえば空に浮かんでいる雲を龍であると解釈したり、虹が見えることを吉兆であるとする、なども大きく括ればこの「解釈」に該当する行為じゃな」

 

この解釈という行為はとっても奥が深く、高次の存在を認識する上で避けては通れない行為であり、思考法です。

 

ハイヤー姉「とまあ、そうやって考えて必死に意味を見出そうとすること自体は何も悪いことではない。問題は、その解釈行為が癖になってどーでもいいことにまで解釈を加えねば気が済まなくなる、そんな精神状態に陥るリスクを伴うことじゃ」

 

私「なんと」

 

 

 

解釈とは思考法の一つに過ぎない

 

 

ハイヤー姉「すべての出来事には意味があり、無意味な事象など存在しない。____が、それをいちいち気にして全ての事象に解釈を加えてやる必要などないし、義理もない。なぜか?これは宇宙の法則ではなく人間が善く生きるための方法論でしかないからじゃ

 

 

 

「この世界は、一人称による認識と解釈によってのみ、構成される」

 

 

 

ハイヤー姉「これは宇宙の法則のうちの物質を伴う世界に適用される大原則であるが、対して『全ての出来事には意味がある』という宇宙の法則は存在せぬ

 

私「え……宇宙の法則とはまた違うんだ?」

 

※宇宙の法則とはそもそも何かというと、世界を創造した側の存在が作った『世界の仕様書、コンセプト』のようなもの。こういうふうに作りました、っていう設計書のようなものです。

 

ハイヤー姉「全ての出来事には意味がある_____これは過去を振り返った時に、さまざまな出来事を関連づけることで出来事に対して何らかの意味を見出し、その結果過去の出来事に納得してスッキリした上で未来を生きることを目的にした思考法である」

 

 

【解釈が生きる例】

「あのとき鏡が割れたけど、私の身代わりになってくれたのかな。

事故起こさないように気をつけよう」

 

【解釈で病む例】

「あのとき鏡が割れた、それにこの前はカラスの死骸を見たし、電話も壊れた。

何か不吉が迫ってるのでは?しばらくは外出を控えよう」

 

 

「全ての出来事には意味がある」この思考法の目的は、あくまで人間が過去にとらわれず未来を向いて前向きに生きること。であれば、たとえば「鏡が割れた」という出来事に対して不吉であると意味付けすることは_____

 

私「その目的から外れている…?」

 

ハイヤー姉「不吉を感じることで、事故やうっかりミスに気をつけて生活しよう、と前向きに捉えることができるのであれば良いのじゃ。しかし人間とは未知への不安を強く感じる生き物。不吉、などと漠然とした恐怖を感じたらむしろ行動しづらくなり、疑心暗鬼に陥ることの方が多い。結果的に、解釈することによって未来を生きるどころか、些細な出来事に執着し、自分の行動を制限することになる。これでは本末転倒である」

 

 

 

 

解釈することで世界の謎に迫る、という快感

 

高次の概念やら宇宙の法則を探究する生活を送っていると、身の回りの出来事や事象に対して様々な「高次からの意図」を読み取れるようになってきます。高次の動き方や考え方がわかればこそ、日常の中に起こる様々なことへの意味づけができるようになるのは、楽しいです。今まで考えたこともなかった視点で物事を見るのは、新鮮で面白い。

 

 

ま、ここが落とし穴なんですけどね笑

 

 

解釈癖がつくと、どーでもいいことにも何かしらの意図を読み取ろうとするようになる。そして「もはや身の回りにどーでも良いことなど存在せず、全てが何者かの計算通りに動いている」と思うようになります。え、そんなことないよ流石にって思う?

 

それが、当事者になるとほんっとにそう思えるようになるのよ…

 

で、その結果「もしかして裏でヤバいことが起きてるのでは?」と邪推する事態が起きやすくなります。たとえば、周りの人が自分に対して悪意を持ってるのかも、とかね。これが病的なまでに進行すると統合失調症っぽくなってくる。

 

ハイヤー姉「解釈癖を拗らせると、大抵こうなる。ふふふ、あえてちょっと悪役風に言ってやろうか。ちっぽけな人間風情が深淵に存在する愛など見えるものか。そもそも裏で何かが動いている全貌を知ることができるなどと思ってる時点で、それは驕りじゃ」

 

人間が理解できる高次の概念なんて、ほんの一部、氷山の一角。それ以上を知ろうと望めば望むほど、驕りと慢心と不安が大きくなります。そりゃそうだ、そもそも理解の範疇を超えるものにアクセスしたって、分かるはずがない。

 

私「たとえば、なんで今この石ころがここに転がってるんだろう?今、ここに、この石ころが存在する意義ってなに?みたいなね。それを考え始めるとよくわからなくなってくる」

 

ハイヤー姉「それを考えて、何になる?そなたの人生にその石ころは重要なものか?石ころには石ころの世界があるが、それを解き明かすにはそなたの人生は短すぎる。無駄じゃ。そんなこと考えてないで己の目の前の仕事に集中せよ」

 

解釈癖が強くなると、そういう日常の中の些細なことにもアンテナを貼って「これはどういう意味?」「これとこれの関連性は?」と思考が止まらなくなっていきます。ある種の依存症にも似ていて、勝手に脳が解釈を始めるのを自分でコントロールできなくなるんです。はい、こうなったらメンタルクリニック案件です。

 

高次を認識すること、身の回りの出来事を解釈しすぎると、知らず知らずのうちにそういう状態に陥りやすくなるんですよね。

 

 

 

 

_______何事も、やり過ぎは良くない。そして、やり過ぎそうになる自分を制御して理性を保つことも、精神修行の一つです。

 

 

世界の裏側には、大きな意思が働いている?

 

ハイヤー姉「よくいるんじゃ、世界を支配する何某かが自分を殺そうとしている、みたいな思考にたどり着くものが」

 

人は自分にとって未知な存在やわからないものに対して恐怖や不安を感じるものです。その未知を解き明かす際に「何者かの悪意がある」というのを前提にすると、ものすごーーーーく厄介なことになります。

 

私「身の回りの嫌なことをいちいち全部解釈して、その全てに関連性を見出してたら、うん……そりゃやばいやつが裏でなんかしてるって思っちゃうよね」

 

この思考の構造はとても単純!

 

①まず、さまざまな現象(特に自分や身内にとって不都合な現象ね)が起こります

②それら全てを紐づけて→一連の出来事の原因を一つに絞り込む形で解釈します

 

するとあら不思議!一つに絞った原因は自動的に「なんかヤバそうな悪の親玉」ということになります。なぜなら、悪いことを起こす元凶が全て共通していることを前提にして、関連性を解釈しているから。

 

私「数学みたいに、自分にとってよく分からない存在をとりあえずXとおく、みたいな感じか」

 

これも思考によって生じる存在です。本来は複雑な因果関係を自分にとって分かりやすいようにシンプルに解釈すると、いろんな要素が集合した「一つの原因」に集約される。

 

ハイヤー姉「そのとりあえずXとした存在に対して、意図や性格、人格があると仮定して思考を進めると、思考の中でやばい存在が確立することになる。未知への不安を解消しようと思って解釈したのに、結果的に思考の中にさらにヤバめな存在が現れる、という仕組みじゃな」

 

 

 

 

私(高次の存在は、自分の思考や解釈の中に現れる。一方で、やり過ぎると変な方向に思考が突っ走っちゃう…。じゃあ、私はどうすれば、)使命ちゃん「むちむちだーーーーーーんす!!!!」

 

 

 

 

 

無知の知、解釈しないという選択

 

ハイヤー姉「未知のものを未知のままとすることもまた、無知の知じゃな。本来の意味とは少々異なるが。己の人生に意味を見出し、何かを成し遂げたい者にとってこれは大変重要なスキルじゃ。解釈することをやめる、解釈しない選択をすることわからないまま放置すること。これも善く生きるために必要なスキルであり、選択であるぞ」

 

未知なものが存在していることを許し、受け入れること。未知への恐怖や不安を受け入れて、そこに意識を向けず解釈しないこと。

 

一見、思考や探究を諦めたように聞こえるこの結論。しかしこれこそが、人間ができる高次へ最大化つ無敵の対抗策であり、物質の世界に視点を向けて生きることの根本である。

 

多くの人が解釈癖を経験するのは、これを知るための試練なのでしょう。きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談。これを「解釈癖」真っ只中の人に言うと「思考停止を促すなんて酷い!こいつは闇の手先だ!」となります。思考を停止しろとは言ってないんですけど、当事者には同じ意味に聞こえるのです。思考とはかなり体力と気力を使うものなので、解釈を広げ過ぎて収拾がつかなくなってやめるか、解釈を突き詰めて最終的にこれが思考の中で生まれたものだと自分で気づくか。そのどっちかになると思います。あ、私はちなみにどっちもやったよ!笑 我に返れたのでこうして記事を書いてます。

 

 

ハイヤー姉「世界は、愛の内側にある。その真理に到達すれば、この解釈の渦からも抜け出せよう」

 

https://x.com/white_cube_1_/status/1700659168661975393?s=20

 

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