感覚的でありながら思考と共に生きる。のを失敗した黒歴史と考察
高次の意思に従って生きる?
高次に従った方が楽だし色々と手っ取り早いじゃん?と思って従順になった時期はあったのよ。
最終的には「ハッ!これつまりパシリじゃん!焼きそばパン買ってこいって言われてパシリにされてるだけじゃん」って気づいて「はぁ?パシリで人生終わらせる気なんてねえよ!」っていう今のスタイルになった— 箱白@次の同人誌どうしよっかな (@white_cube_1_) February 16, 2023
それまで体調不良で文字通り屍のような生活してたから、少しでも楽に生きられる道が欲しかったんよな。
まあそのせいで余計拗らせたけど、そこで得た教訓は「楽じゃないし辛いし難しいけど、高次には従わない。あくまで協力関係がいいし私はそれを望む」だったので結果オーライ。主体性、大事ね……— 箱白@次の同人誌どうしよっかな (@white_cube_1_) February 16, 2023
ちょうど去年の今頃。
高次的な感覚に寄りすぎたせいでとんでもなく人間離れしていた時期でした。
ええ、今となっては黒歴史です。
感覚的になりすぎて、この世の全てがなんだか不思議な力によって動かされているような、もしそうであれば自分はその流れに身を任せていれば悪いようにはならないだろう______そんな感覚でいた頃でした。
……もう一度念を押します、完全に黒歴史です。
高次のものが現実に起こす影響力のあまりの強さに、人間なんてちっぽけすぎる、と思っていました。
「このまま、上に言われるままに流れていけばどこかいい未来に辿り着くんじゃない?だってもう疲れたんだ、考えることが」
それまで必死に高次の意思に歯向かうべく思考を巡らせて頑張って現実を生きていたものの、あまりの自分の無力さに打ちひしがれて、______そして開き直ったんです。
「どうせ抵抗しても無駄なら、言われた通りにやろう」
徹底的に「感覚」を優先して生きてみた結果
『何事も、中庸が大事』
そんなことを高次のものに言われるまで、私は「やるなら徹底的に!突き抜けるまで極める!」っていう方針で生きてきました。
それは、数少ない自分の得意分野を磨くことでなんとか社会の中で生き抜こうとした、ある種の生存戦略でもありました。
ええ、得意なことってあんまりないんですよね。
何をしても大体平均以下。だったら時間も労力も努力も一極集中型にして一つの分野に絞って、それで勝負しよう。
『自分の得意なことを磨く』
___この考え方は、別に間違ったことでもなければむしろ「個性」を重視する現代では主流になりつつある考え方ではないでしょうか?
そんな考え方が大好きだった私は思ったわけです。
_____徹底して感覚的になってやろうと。
別に自ら望んで得た第六感ではありませんでしたが、成り行きで得たスキルであっても「人よりもちょっと得意」であれば、磨けばそれなりのものになる……これは、数年間フリーランスで仕事をしてきた時に学んだことでした。
『中庸』の概念を知らなかった私は極端に走り、完全に感覚で生きる生活を実行しました。
…どうだったかって?悲惨でしたよほんとに……苦笑。
感覚的に生きるのも、やりすぎ注意
何事も徹底主義だった私は、「感覚的になる」ことを最優先にするあまり、全く意識せずナチュラルに禁断の一手を指していました。
__禁断の一手、つまり論理思考の封鎖。
よく聞きますよね、「感覚的であることと、論理的であること」。まるで両者が対になる存在のようにしてセットで語られます。
そして、まるで対極の存在であるかのように「思考に縛られず、感覚的になろう」と風の時代の生き方を説く発信をよく見る気がします。
ええ、思考に縛られるのは確かに良くないんです。縛られるのは。
でも、だからと言って思考そのものをするな、とは誰も言ってないんですよね!
極論に走りがちな私は、そこを理解していなかったのです。
「人は考える葦である」とは誰の言葉だったでしょう……
人は、自分の知識や経験、価値観を駆使して考えながら生きる動物です。
考えるのをやめて「なんとなく」だけで生きていたら、そもそも人間である存在意義が危ぶまれます。
と、まあ、ちょっとカッコよく(?)偉人の格言を引用しましたが、要はただのぽやや〜んな人になるんですよね、感覚的になりすぎると。ええ、過去の自分のことです。
ブーメランぐっさあああああ!
そして感覚を研ぎ澄ませすぎた結果、ぽややんな人になったと同時に高次の感覚に染まりすぎて人間の感情や考え方をちょっと忘れかけました。
きっと、周りから見たら浮世離れしてる変な人。
自分で我が身を振り返るとなぜ人間の世界に生きてるかわからないけど何故か生きてる存在。
周りからすれば「変な人だな」「何も考えてない人だな」で終わりですが、自分としてはめっちゃ寂しいし虚しい。
考えることをやめる、とはこんなにも空虚で恐ろしいことなんだなあと知りました。
※感覚的になりすぎていた頃の失敗談、詳しい記事はこちら↓
思考&感覚、両者の使い分けと立ち位置
どっちか、じゃない。どっちも!どっちも大事!!!
というのを身をもって知ったので、今度は「思考」と「感覚」の使い所を考察することにしました。
イメージとしてはアレです、
感覚は王様、思考は参謀的な将軍。
このキャラづけをするとめっちゃ分かりやすいのでは!?
例1 好きな人に告白したいとき
感覚王「好きな人がいる。付き合いたい!告白しちゃおうかな!」
思考将軍「では、まずは相手の気持ちをある程度予測しておきましょうか。過去のLINEや普段の態度を総合的に見て、告白の勝率は五分五分ではないかと」
感覚王「五分五分かあ…もう少し相手からのアクションを待った方がいいかなあ。不安になってきた」
思考将軍「王様の最初のご希望は『好きな人と付き合いたい』です。私はそのために策を練ります。もし付き合いたい、よりも不安だからそのまま待ちたい、のお気持ちが強いなら、待つ期間を設けてその間どのように過ごすか、をご提案いたします」
感覚王「どのように待つか?」
思考将軍「友人や周りを見る限りでは、待つ期間は自分磨きをすると勝率が上がると言っている人が多いですね。実際それで告白の勝率を上げてから告白に臨んで、見事相手の気持ちを射止めた例もございます」
感覚王「じゃあ……3ヶ月くらい待つ間、ダイエットしようかな?」
思考将軍「御意。では相手の好みのリサーチも並行して続けます」
……こんな感じじゃん?
感覚(感情、気持ち、心、願望)が主、思考が従。
でも、どちらも発言力としては限りなく対等。
感覚王は自分がどうしたいか?何を望むか?を偽らずに、素直に将軍に相談する。
思考将軍は、王の方針に従いながらも的確に情報を集めて提案したり、作戦を練って行動する。
っていうのを脳内会議でやればいいわけだ。
例2親と喧嘩しちゃった
感覚王「絶対謝らない!自分は悪くない!でもこのまま仲直りできないのも嫌だ!将軍どうしよう!?ねえ自分は謝ったほうがいいの?自分が折れたら丸く治るの?」
思考将軍「王様、ご自身が悪くない部分に関しては謝る必要はございませんよ。でも、仲直りをしたいなら部分的に謝ることは必要と申し上げます。……あの時の王様の言葉は、少々きつかったですね」
感覚王「まあ…ちょっと言い過ぎた感はあったけど。でも元はと言えばあっちが私のことを馬鹿にしたせいでしょ。今までの小さなモヤモヤがたまってたんだよ…」
思考将軍「お察し致します。まずは話し合いの場を設け、王様は謝罪すべきところは謝罪し、主張するところは主張する、というのを具申いたします」
感覚王「むむむ……でも…悪いのはあっちだし。むしろあっちが謝るべきじゃない!?」
思考将軍「謝罪を要求するのであれば、話し合いの場を設けるか、相手から何か言ってくるのを待つか、ですね」
感覚王「うううう……どれも嫌だなあ…」
思考将軍「王様、私はあなたの希望を叶えるための策を練るのが仕事です。あなたが最も優先する想いは何ですか?」
この例だと思考将軍が嗜めるような言い方をしてますが、ポイントは
・王様の願望、気持ちを否定していない
・王様の気持ち認めた上で、希望を叶えるための現実的な道を提案している
・王様を強制的に従わせようとはしない。あくまで主は王様(感覚)、従が将軍(思考)。
王様は、メンタルが揺れてる時でも自分の気持ちを隠さずにはっきり言う。
将軍は、思考で導き出した妥当な手段を提案しつつ、あくまで王様の希望を第一に考える。
このパワーバランスが大事なのかもしれないな、と思います。
「自分の気持ちを大事に」と「現実的にできること、すべきこと」。
この二つの関係性を、この王様と将軍の関係に当てはめてみれば分かりやすいかも。
例3職場で陰口を言われてた…
感覚王「最悪……いつも親切だと思ってた先輩があんなこと言ってたなんて…!許せない」
思考将軍「予想外でしたね……これからどうしたいですか?」
感覚王「どうって……もう誰も信用できないし、したくもない。誰も信じない」
思考将軍「……。分かりました。では、誰も信用しなくてもなんとか職場でやっていける方法を探しますね」
感覚に従う_______とするとこういうことにもなり得ます。
これ、一見「誰も信用しないことを肯定するなんて」って感じですけど、その場その時の感情や気持ちによっては、むしろこうしたほうがいい時もあるのではないでしょうか。
「人を信用して生きることが良いことだ」そう言えるのは、周りの環境がある程度安定して平和である証拠です。
一時的に心を閉ざしてでも自分の心を守れるのであれば、それが間違った道だとは思えません。
そういう面でも「自分の気持ちに従う」ことが肯定される時代、風の時代になって行くんだなあと感じます。
王様も将軍も必ずしも正しいわけではありませんが、感覚と思考のバランス、位置関係の例になったらいいな、と思って書きました。
____ちなみに、感覚的になりすぎてた私の脳内環境は、将軍がうるさいのでクビにして好き勝手やってる王様って感じでした。ひどい。
感覚的or思考的、ではなく感覚的&思考的、この両立を心がけようと思います。
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