『毒親』問題のスピリチュアル的な背景。一人で勝手に救われてろ【人生攻略考察】
「子どもは親を選んで産まれてくる」という言説を聞いたことあるひと〜?
はーい!
さらに、「子どもは親を助けるためにやってくる」という説も聞いたことあるひと〜?
はーい!
で、それに対して「はぁ?ふざけんな。あってたまるかそんなこと」って思ったことあるひと〜?
はーい!
_______えー、今回はそんな人のための記事です。
※この記事は、箱白が自分を担当する高次から聞いた話ですので、箱白視点です。物事には様々な解釈があり、どんなことも多角的に捉えることができるよ、っていうのを前提にして読んでね!
目次
大々的な『救済計画』があったらしい
「あのひとを助けたい!」「あのひとを救いたい!」_____そう決意した清き無垢な魂が人間となり、子どもとなってその親のもとへやってくる。そのような経緯でやってきた魂は大勢いて、現在も人間生活真っ只中。
どうやら高次の世界で『救済計画』と称して大々的にそのようなプロジェクトを推進していた時期があったようです。
____あった、ようです。
なぜ過去形なのかというと、過去だからです。その計画、もう、終わってます。終わりました。もっと言葉を選ばずに端的に言うと、頓挫しました。
『救済計画』ってどんなものだったの?
まず、この『救済計画』の概要から説明しましょう。
現在40代前半から20代後半くらいの世代が、ちょうどこれから赤ちゃんとして生まれてこようとしていた頃のこと。その親世代、つまり現在50~70代くらいの人たちがあまりにも不遇すぎるので、何とか救わなくては!……という大きな計画がありました。
この計画の背景には、この世代の人たちはさらに上の世代や社会情勢によって不遇を強いられる傾向が強く、ある種の被害者であると高次の存在たちは認識していたことがあります。そのため、救済措置が必要だということになるのですが…、しかし、どうやって?そこでとある存在が、名乗りをあげたそうです。「私がこの一大プロジェクトを推し進める!可愛い子どもの存在によって『愛』を思い出してもらおう!子育てを通して、自分の傷を癒す機会を与えることにしよう!」
このとき名乗りを挙げた存在は、まあいわば「神様」のような存在です。ただしその存在は完全に全知全能というわけではなく、あくまで「神々の中の1人」って位置付け。だた、とても優しくて愛情深い性格だったので、お弟子さんを多く抱えて人気でした。その存在の周りには、愛の塊のような柔らかくて無垢な魂たちがいっぱいいて、みんな優しい子ばかりです。なので、その子たちは当然みんな言うわけです「いま現世で辛い目にあってるあの魂を助けたい!一緒に笑えるようになりたい!うん、協力するよ!」と。
……。
まあ、それが上手くいってたら今のような状況にはなってないんですけどね…?
ちなみに、これを書いている箱白とその高次は、この計画に反対していた側です。
あまりにも見込みが甘かった。人を救うのって生半可なもんじゃない。ましてや、不遇を強いられたひとが抱く憎悪や怨念の凄まじさを「愛」の力で救おうなんて、あまりにもぬるすぎます。そんな理想論だけでなんとかなる世界ではない。もちろん、計画を主導していた存在もそれは承知していたはずでした。が、やはり。本当の意味で理解していなかったのでしょう。
さて、そのプロジェクトでいざ生まれた子どもたちの魂からは、クレーム殺到です。こんなひどい状況だなんて聞いてない、て。こんなの無理だ、て。この状況でどうやってママとパパを救うの?!て。
『赤ちゃんという幸せと愛の塊のようなエネルギーに触れたら、誰だって愛を思い出す!そして子育てを通してパパもママも自分の傷と過去を癒して、本来の愛を思い出す……』っていう感じにはならないぞ?あれ?と。
かといって、脱落したくてもできない。人間生活が始まってしまった以上は生きるしかありません。何より、この子どもたちは別に親のためだけに産まれてきたわけではないのです。たしかに親にとって愛を思い出すきっかけになると決めたのはそうだけど、でもそれだけの人生じゃないのです。この件とは別で、現世でやりたいことはたくさん計画して産まれてきています。
生きるしかない。でも、どうやって……?そもそもこの環境で生き残ること自体、可能なのか……?だって、生まれてきたばかりの子どもは親の言いなりになるしかないのです。それは生物的に力が弱いというのもあるし、知識も、経験も、何も勝ることができないじゃないか……
結果を見れば、この計画は成功したとは言い難い
※ここで前提の確認ですが、この記事は「子どもは親のために生まれてくる?はあ?ふざけんな」と感じる方向けの記事です。
ここで敢えて強い言葉で書きますが、この『救済計画』は失敗に終わったようです。子が親を救う?それ、本当にできたか?むりでしょ実際問題??ってことです。
失敗という表現をしたくない方も多いでしょうが、私(箱白)の立ち位置としては『成功事例があまりにも少なすぎるので、この計画が成功したとは言い難い。成功例も属人性が強く再現性がない、あくまで個々の事例でしかない』です。
なお、現在の高次の世界にある出生待機場(注1)は当時とまったく違う状況になっているようです。最近(特に令和)は、子が親のために産まれてくるとかそういう発想はありません。
注1:出生待機場…現世でもなく天国でもない、これから人間として生まれてくることが決定している魂が、生まれるタイミングを合わせるための待機場。転生準備の最終段階になるとここにくるらしい。
『救済計画』で生まれてきた子どもたちは
ちなみに、この『救済計画』というのは何も「子どもは親のために全てを捧げろ」というものではありません。あくまで、親にとって子育てが自分の傷を癒すきっかけになる、そのきっかけ作りに協力する、というニュアンスもの。これはめっちゃ当たり前のことなのですが、子どもには子どもの人生があります。
なーのーにー!
本来「救済のきっかけ作りに協力するよ!」って感じのものだったのに、いざ産まれてみたらもんのすごい支配下に置かれるような状態になってしまって、本来の自分の人生を送るハードルがばり高くなっている人のまあなんと多いこと……
過酷な状況に置かれた子どもは、必然的に、大人になるまで防御に徹して耐えることになります。……ならざるを得ない。ちなみに子どもについている守護霊も、防御に全フリします。少しでも傷が少なくなるように、少しでもダメージが大きくならないように。そして、なんとか早期離脱(たとえば実家を離れて寮に入る、とか)を狙うことになったそうです。
救済計画は、その計画を遂行するどころの話ではなくなり、まず第一にいかにこの状況から脱出するか、というのが当面の課題となったわけです。
_____昨今、『毒親』という言葉があります。この毒親問題がまさに。まさにこのことなんですよね。
負の連鎖を断ち切る魂たち
いま加害者になっている人は、かつて誰かから虐げられた被害者だった。……文字にすれば2行で終わってしまうけれど、実態はというとあまりにも残酷で救いのない現実です。それは、親からの加害だったかもしれないし、社会からだったかもしれないし、戦争だったかもしれません。
強い攻撃を受けたひとは、受けたエネルギーを放出してバランスを取ろうとします。エネルギーの流れの観点からみれば、それは自然な反応です。その放出する矛先が人間に向いて、放出する方法に攻撃性や支配性が加わることで、ひとは加害者になります。かつて救われなかった自分に報いるために。
『あいつは私を殴った。私は殴られた。だから私も誰かを殴る。それの何が悪いの?私だって殴られてきたんだから、当然人を殴る権利があるはずだ。だって殴ることが愛なのだから』
……この理屈に「いいや、殴ることは悪いことだからそんな権利は誰にもない」と答えることができないわけではないけれど。それで「はい、じゃあやめます、殴りません」となるなら、きっとこの世に戦争なんてないでしょう。
「その負の連鎖を断ち切れ」と、言うのはあまりに容易い。負の連鎖を起こしたくない一心で己を追い詰めて、それで身動きが取れなくなる人もいます。
負の連鎖を断ち切るのって、正直、損な役回りです。その真っ只中にいる人に向かって「カルマを断ち切る、素晴らしい天命だ」とか横から言うやつがいたらぶっ飛ばしてやりますよ、ええ。カルマを断ち切った後の人間に対して過去を振り返って「素晴らしいことを成し遂げましたね」と言うならまだしも。己自身で覚悟をきめて、自ら鼓舞するために「それでも誇りをもって乗り越える」と言うのならまだしも!
けれど、これだけははっきり言えると思います。このカルマ…負の連鎖に本気で向き合って断ち切る道を選んだ人は、その人生を後悔することはないでしょう。カルマを断ち切った先にあるのは、希望です。
少なくとも、後悔した人(というか魂)を見たことはありません。損とか得とか、もはやその軸で推しはかることではないです。「これは私のポリシーだ、自分が損をしてでもこの連鎖を断ち切る!」と、唇噛み締めて血がダラッダラに垂れて、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになってでも、それでも私はこうありたい、と願うことができるなら、その道の先に納得できる人生があるでしょう。
「ひとりで勝手に救われてろ」
親を救わなくてもいい、見捨てていい、逃げていい。誰にそう言われても、受け入れられない人がいます。大丈夫よ、捨てる神がいれば拾う神がいるって言うでしょ。
その親にだって、守護霊っています。……だいぶ拗らせてることも多いですが。子どもであるあなたが親を見捨てても、親についている守護霊は自分の守護対象を見捨てません。常に最善を見据えてあれこれ頑張っています。
み「……」
箱白「うっっっわびっくりした?!待っていきなり何」
み「言うことがあって来た」
箱白「今回は真面目な記事だからこういう対話シーン挟むつもりなかったんだけど」
み「俺は、仕事上、どうにも救われないでいる奴らを自己救済に向かわせることが多くてね」
箱白「あ、そうか!みーちゃんはここで言う『拾う神』の仕事してるんだったね」
あ、別にみーちゃんが神だ、とか言ってるわけじゃないですよ?これはあくまで慣用句です。
み「毒親から離れるとき、こう唱えると離れやすくなる。『一人で勝手に救われてろ』とな」
ちなみに、このときの親側の守護霊さんも「うん流石に引き留めないよ、ごめんね迷惑かけてほんと。こっちはこっちで頑張ります」って思ってることがほとんどです。
子に逃げられたあとの親(事例)
えーーーちょっと余談ですが、私、精神科に入院したことがありまして。うつ症状で。同じフロアにいろんな方が入院していたんですが、そこに「子供に見捨てられた」と嘆く方もいました。「うちの子どもはろくに実家に帰ってこない」とか何とか。入院生活は何せ暇なので、患者同士で身の上話を語り合うことが多かったのです。そのときはほーーーん、と思って話を聞いていましたが、その人はどうやら子に見捨てられた後にヤケになって色々して、で、なんやかんやあって医療保護になったそうです(表現ぼかしまくったら何も伝わらん……)。
さて、その病棟では作業療法の時間というのがありましてね。手芸などのワークショップがあったんです。ビーズのアクセサリーとかちっちゃな工作できるやつ。そのときに、その人は「○○ちゃん、こういうの好きだったわ」とポツンと呟いていました。その○○ちゃんは、成人して誰かと結婚して、もう二度と会えないのだと言っていました。
……ここで「それでも親は子を思ってる」と言うと思った?言いません!確かに思っているには思っているのですが、果たしてそれが〇〇ちゃんにとって嬉しい形での思われ方なのか?と言われると、そんなん部外者の私にわかることではないです。
ただ、確かに言えるのは○○ちゃんがいなくなってもなんとかなってるんですよね、その人。
何とかしてくれた人は、病院の人かもしれない。同じ患者仲間かもしれない。きっと〇〇ちゃんからは見えないところにいる人たちです。その人はそこで、少しずつ癒しの過程を踏んでいました。
※この記事は、箱白が自分を担当する高次から聞いた話ですので、箱白視点です。物事には様々な解釈があり、どんなことも多角的に捉えることができるよ、っていうのを前提にして読んでね!
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