己の身体と和解せよ②私が苦手と感じるものの本質を見る
前回のあらすじ。
「運動が苦手なのも個性!しょうがない!
苦手なことは後回し!」
そう開き直って得意なことしかしてこなかったツケが、
とうとう回ってきた!
そう、筋肉不足による腰痛という形で____!
私は大いに恥じました。己の未熟を。見通しの甘さを。
霊視とかエネルギーワークとかできても、自分の肉体をまともに操縦できてないんじゃ『現役プロの地球人類』を名乗れないじゃないか。何せ、高次の存在が私たち人間に求めるのは、人間であることです。肉体を持った存在であること。物質を伴って生きる存在であること。そんなプロの現役人間が、己の肉体の問題から目を逸らすなど。本来あってはならないことでした。
私「くっ…!問題意識を持つべきだったんだ、そもそも肉体のことをまともに知らずになんとなーくで操縦してたことを…っ!」
運動が嫌いだから、苦手だから、と開き直ってる場合じゃなかった。なんという失態。こういうスピ的な仕事をしているならなおさら、プロの現役人類たる自覚を持たなくてはっ!
筋トレを終えてバキバキの筋肉痛に苛まれる中、心を入れ替えようと思いました。
目次
目らか鱗。私が苦手なのは「運動」じゃなかった
これまでずっと、自分は運動が苦手だと思っていました。ただ、その自己認識自体がそもそも解像度が低かったことを思い知りました。
私が苦手なのって、そもそも「運動」ではないのかもしれない……!
①分からないままやるのが苦手
どうやら自分は、これで合ってるのかな?と疑問を持ちながら続けることが苦手だったようです。
動画を見てやる筋トレで、動画と同じようにできているのかできていないのか……それをジャッジしてくれる先生はいません。自分でジャッジするしかない。しかし知識がないので、ジャッジができない。だからなんとなく「多分こう」で進めるしかない。その状態を良しとすることが、どうしても苦手でした。常にモヤモヤした「こうかな?」を抱えたまま進めるのってストレスですよね。
私「こうかな〜違うかもな〜って迷いながら進める苦しみは、もう十分高次との対話訓練で味わった!もう結構です!」
このモヤモヤしたものを抱えながらいろんな可能性を考えながら進める、というのはまさに今まで私が脳内対話で行ってきた修行そのものでした。「対話の相手が、高次の存在なのか悪霊なのか、はたまた私が狂ったのか?」という疑問と葛藤を抱える生活を何年かしましたが、あんな生活はもうごめんです。
わからないことをわからないままにする、というのはとてつもないストレスになります。精神修行の一つとして課せられたほどに、負荷がかかるなんて……
_____筋トレでそれはしたくない。
そういうわけで、わからないことをそのままにしない方針を徹底することでストレスが減るだろう、と思ったのでパーソナルトレーニング(個別に質問できる)を選んだわけですが、
いやあびっくり、だいぶ辛くなくなった!!!!
精神的な負荷が相当軽くなりました。
②身体が痛くなる、痛いのが苦手
例えば腕立て伏せ。自宅でやってみて思うのは、まず手首が痛いということでした。腕の筋肉を鍛えるはずが、手首の痛さで全く集中できない。膝をついてやる腕立てでもOKって動画で見たことがあったのでやってみたら、今度は膝が痛い。膝の痛みに耐えて頑張った結果、内出血してた……なんてこともありました。腹筋をしても、お尻の骨が痛い。市販の筋トレ用マットを敷いても、多少痛みが鈍くなる程度のものでした。
そんなことを繰り返しているうちに、いつしか、運動=苦痛に耐えないといけないもの、という図式が頭の中で出来上がっていました。
トレーナーさんにそれを相談したところ、「あ〜〜〜ですよね!ある程度トレーニングしてたり筋力ある人はともかく、いきなりあれやったら関節やられますよね!笑」といった後に「大丈夫です、そういうのはやらないので!」といってくれました。本当に、鍛えたい部位とは関係ないところが痛くなる、みたいなトレーニングはありませんでした。
代わりに、なんか知らん道具とか器具は使うことになりましたが、そっちのが断然ラク!!
私「筋肉痛ならまだ耐えられるって思うのは、耐える必要があるって思うからなんだろうな。筋トレしたのに関節が痛い、とかはマジでなんでこんな痛みを感じなきゃいけないの?って理不尽に思うから辛かったのかも」
③疲労が苦手
疲れるの嫌なんだよ!!ただでさえそんなに体力ないのに!!(身も蓋もない)と、思っていたので正直ジムに通うのも続くかどうかわからなかったのですが、普段自分が感じている疲労と、筋トレをしたときの疲労って種類が違う。ということが判明しました。というか、純粋な筋肉疲労ってこんな感じなんだね?!と初めて知った気がします。
思い返せば、学校の体育の授業や部活動での運動は常に「周りに迷惑をかけないようにしなきゃ」とか「この授業終わったら次は数学かあ、疲れてるのにやだなあ」とか、「なんでこんなことやらされてるんだろう」とか、そういう運動とは直接関係のないことが頭の中をぐるぐるしていました。
_____そりゃ疲れるわ。
今まで私が感じていた疲労は、肉体的な疲労にプラスアルファで精神的な疲労も重なっていたのです。むしろ苦しみを感じる比重としては、精神的な疲労のほうがきつかった。
肉体的な疲労、そんなに苦しくはないぞ……?
これはジムのトレーナーさんが負荷がかかりすぎやいようにメニューを組んでくださってるからだとは思いますが。でもそういえば、同人誌のイベントの帰りは肉体的にはすごく疲れているけど心はハッピーです。良い仕事した〜って。
あ、そうか……疲れる=苦痛、とは限らないのか。だから筋トレが趣味とかいう人もいるのか。筋トレして自分を追い込んで苦しいのに、それが楽しいってとんでもないマゾなのかと思っていましたが、そういうわけじゃないのかも。
好きなものを極めることと、苦手から逃げることは違う
最近よく聞く『好きなことや得意なことを伸ばす』という考え方。考え方の方向性としては私も賛同します。というか、私はそうしないと生き延びることができないタイプの人間なので、賛同しようがしまいが、何をどう足掻いてもそういう生き方しかできません。
けれど、だからと言って苦手なものは全部パス!しーらない!がまかり通るかと言えば、そういう話ではないのです。
逃げて何とかなるなら別にそれで良いのですが、なんとかならないこともあります。その場合、逃げ続けることに執着していては何も解決しません。苦手なことは別に極める必要はありません。代替できる別の何かがあるなら、それで補うのもアリでしょう。でも、それができないのであれば自力でなんとかするしかありません。そして、苦手なことでも苦しくない方法を探すしかないでしょう。
私「くっ……確定申告は苦手だから外注してるけど、筋トレは外注できない!自分がやるしかない!」
であれば、限りなくストレスのない環境を作ることに意識を切り替えたほうが合理的でしょう。
その費用、稼いだお金を使っていいのかなあ
私「パーソナルトーニング……週1で月額よんまんえん……うっっっ」
決して安い金額ではありませんが、まあ、そこは。自分がその分も働けばいいだけのこと。
私「……確認なんだけど、霊視カウンセリングで稼いだお金を私のパーソナルトレーニングに使っても問題ないよね?」
ハイヤー姉「別に?何が問題なのじゃ?」
私「え、いや、さ……スピ的な仕事で得たお金を自分のために使うのってどうなんだろうって」
ハイヤー姉「……その抱っこ紐を使って、そなたは子の保育園の送迎をするそうじゃな?」
私「そうです。普段はベビーカー使ってるけど、真夏日はベビーカー使えないから(座面温度がめっちゃ高温なるので危険らしい)」
ハイヤー姉「保育園に送迎して、そなたは仕事をするのであろう?」
私「そうだね……?」
ハイヤー姉「己の身体に投資してそれでさらに仕事ができるようになるなら、こちらとしても何も言うことは無いが?」
私「………たしかに?そうね?」
そうだ。もしどうしても気になっちゃうなら、この体験ごとブログに書いちゃえば良いんじゃないか?で、無料で公開しちゃえば良いんじゃない?
私「普段、霊視とかしてる人が筋トレする記事……」
分野違いすぎて読んでくれる人いるんだろうか…?多分、同業者とか私と似たような人から見たら面白いだろうけど。需要に関して少し考えて、……やめました。ちがう、私が考えるところはそこじゃない。
書きたいから書く。それでいいや。ブログだし!
関連情報