【人生攻略考察】ぬるま湯から出る試練
人間が現世で体験する試練の種類はかなり幅広く多種多様なのですが、そのうちのカテゴリの一つに「能動的に行動する試練」が存在します。
「人生ぬるい。何をやってもそんなに困らないし大体こなせる。でもそこに対して違和感がある」という悩みを持つ人の中には「なんとなーく生きてるだけで大抵のことはなんとかなっちゃう、そんな現実から脱するために敢えて挑戦の道を選ぶ試練」の真っ最中!____というケースがあるようです。
この記事では、「ぬるま湯試練」と呼ぶことにします。
ぬるま湯試練の特徴
ハイヤー姉「ぬるま湯試練なあ……とてもトリッキーな試練じゃなあ」
私「試練って、ものすごく苦しかったり難しかったり、実感としてきついって感じるものが多い気がするけど…なんかこれは毛色が違うね?」
ハイヤー姉「その状況を試練と実感しにくい点において、他の試練よりも長期化しやすい特徴がある。周囲から見ても本人に悩みがそんなにないように見えるので、他者からの指摘も受けにくい」
私「なんでもそれなりに上手く処理できちゃう人って確かにいるけど……たしかにそういう人ってあんまりウジウジ悩んだりしないから、人に相談するってこともなさそう」
ハイヤー姉「相談相手によってはなんて贅沢な悩み!なんでも上手くできちゃうって自慢してるの?と捉えられることもあるからなあ。話しにくいというのもありそうじゃ」
_____なんでも上手くできちゃうから困ることがなくて、人生なんてぬるいわ〜。…でも何かが足りない、何か違和感がある、そんな気がする。
ぬるま湯試練に取り組んでいる人に当てはまりやすい特徴を、いくつか挙げてみます。
人生なんてぬるい。……って、ずーーっと感じている
ハイヤー姉「10年、20年はザラ」
私「いきなりヘビーな特徴きたな!?」
ハイヤー姉「まあ本人はさほど悩んでいるわけではないから、言うほどヘビーな感覚ではないがな。____だから長期化するわけであるが」
本人も一体いつからこの感覚を持ちながら生きているか、思い出せないことも多いようです。それくらい、日常で感じる感覚の一部になっている。ただ、特に苦しいわけでも悲しいわけでもないので、そこまで負担にはなっていません。
ハイヤー姉「その感覚にふと自覚したとしても、まあいっかーそれより目の前の仕事やろう、とすぐに思考を切り替えることができる。それくらいふわっとしている感覚であるからなあ」
私「そうなんだ…?」
ぬるま湯試練の最大の特徴は、それを放っておいても別に誰も死なないし苦しまないし、それよりも目の前の仕事の方がよほど優先順位が高いと感じること。
ハイヤー姉「だからこそこの試練の最も大きい壁は、そもそもこの状況こそが己に課された試練であることに気が付くことなのじゃ」
実はこの状況は問題である、と気づけたら、その時点ですでに進捗状況は8割くらい進んじゃっているようです。
ハイヤー姉「本人目線ではあまり優先順位が高くない悩みであるのがまたトリッキーじゃな。他のものを優先しておれば人の一生など普通にすぐ終わる」
私「えっ……クリアしないまま死んじゃうってこと!?」
ハイヤー姉「うむ。多いぞ?そういう人間。全然珍しくないので、むしろ気付けた方がすごい!って感じじゃ」
ひええ。
めんどくさいことを避ける癖がある
コスパ、タイパ重視。無駄なことなんて絶対にしたくないし、無駄になりそうなことも絶対にしたくない。必要最低限しか動きたくないし、効率の悪いことをする価値がわからない。合理的な判断こそ全て。
私(今の若者世代にものすごく多いのでは…!?!?)
ハイヤー姉「合理的な動き方を重視すること自体はさほど問題ではないのじゃ。それよりも、ムダだと思ったことは避けるべし、というのを行動指針にしていることに問題がある」
私「あ…つまり逃げ腰になりやすいってこと?」
ハイヤー姉「さよう。一見ムダに見えることでもやってみたら意外と必要なことだったり、やってみてから振り返ると自分のためになったなあ、みたいなこと、そなたにも心当たりがあろう?」
私「ある。結構多いね」
ハイヤー姉「な?その行いがムダであるかどうかを判断するのは、その行いをし終わって過去として振り返った時にはじめてわかること。未来を見ることのできぬ人間に、それがムダであるか有益であるかなど判断できるものか」
さらに言うと「ムダかどうか」の判断基準もその人の個性が出ます。判断基準はその人のそれまでの人生の積み重ねが反映されるので、合理的であると感じることだけをしていると自然と選ぶ道が毎回似通ってきます。
その結果、どこへ行っても同じような状況になる、誰と会っても似たような関係性になる____というふうに現実に現れることがあるようです。
不器用な人を理解できない
不器用な人を見るととてもイライラしたり「自分が教えてあげないと!」と世話を焼きたくなります。その理由は簡単、何せ自分はなんでも器用にこなせるからです。
ハイヤー姉「不器用な人は苦手なことや嫌いなことに対して向き合って取り組んでいる。だから失敗するし、悩むし、他のものに劣等意識も持つ。不器用さが目立つのは挑戦している証拠じゃ。それをどうしても理解できぬのも、ぬるま湯試練の特徴じゃな」
私「わざわざムダなことをやってる、難しいことに時間をかけているのが理解できない…か。でもちょっと分かるかもな、私も自分の苦手なことはできないし、誰かにお願いするしかないこともあるよ」
ハイヤー姉「ぬるま湯試練では、自分よりも能力が劣ると感じる人間に対して優越感や見下した気持ちになりやすい。でもそれは仕方のないこと、苦労することの価値を知らねば誰だってそうなる」
私「無意味なことをやっているように見えたら、まあ……そうか」
少し変化球で、愚直にコツコツ頑張る人や感情のままに突っ走っていく人を見て「バカだな」____そう感じることもあるようです。
ハイヤー姉「自分が相手を見下すのは正当なことであると感じるものであるからな」
そこそこ器用
天才ではないし目立って頭が良いわけでもないけど、でも平均よりは上。どんなことでもまあまあ上手くこなせるので器用だし、人と比べていろんなことの飲み込みが早いタイプ。
ハイヤー姉「____と、思っている」
私「!?」
これもやはり自己認識。しかし実際、本当に身の回りのことはサクサクできるし、仕事も趣味もまあまあ成果を出せています。その実績は確かにある。そして周りからは「器用だね」と言われますし、何かあったら頼られることもあります。評価もそこそこ高い。
ハイヤー姉「なぜか分かるか?」
私「え…」
ハイヤー姉「そこがぬるま湯だからじゃ」
私「あぎゃあああああっっ!言葉が直球すぎてダメージがやばいんですけど…」
何をやっても平均ちょい上くらいをキープできる能力があったし、今もあると思う。それもそのはず、なぜならそこは自分の能力値で十分うまくやっていける場だからです。
事なかれ主義
「ま、こんなもんでしょ」って思いながら生きてる。
何かに熱中することはあまりない。というか、そこに熱量をかけるのがめんどくさい。暑苦しいのは苦手。結果にならないかもしれないことにわざわざ時間かけたくないし。
トラブルに巻き込まれそうになる気配をいち早く察知して、回避するのが上手い。
私「そっか…なんとなくわかってきた。仕事とか生活の中で、まず向こうからノルマや問題がやってきて自分はそれに対処する、っていうサイクルの中にいるんだ……自ら困難な道を選ぶ理由もないから受動的になっていて、それが結果的に自分でささっと対処できる問題しかない場所にとどまる選択をしていることになる…?」
もしかして、違和感の正体、これ?
ハイヤー姉「ゆえに、これは能動的に行動できるようになるための試練に分類されるわけじゃな」
私「ぐふっっ……」
____書いていて胃が痛くなってきた。
試練であるとも気付きにくい、だから長期化しやすい。感じる違和感や不足感がぼんやりしているから、「真っ先になんとしてでも解決したい!」と思いにくい。人が向き合うべき試練には、こんなステルス型もあるのだそうです。
ぬるま湯試練の出口
ところで、ぬるま湯の試練には代表的(?)な出口が二つあるそうです。
ハイヤー姉「一つ目は、そこから出ること。己の意思で、己の実力以上が求められる場へ移ることじゃ」
多分一番わかりやすい出口でしょう。もちろん、出るためには「ムダなこと」もしないといけないでしょうから、心理的にはちょっときついかも……?
私「でもぬるま湯な状況に心底嫌気がさしてるなら、そのムダなことをしなきゃいけないキツさも新鮮に感じて良いかもしれない」
ハイヤー姉「二つ目は、そのぬるま湯は実は人肌に温められていたもので、自分を守ってくれていたと気づくこと。要するに、今ある当たり前の幸せのありがたみを知り、毎日感謝しながら生きることじゃな」
私「それも出口なの!?」
ハイヤー姉「さよう。感謝とは能動的な行いであるからな?」
いずれにしても、自分の能動的な部分に注目することが鍵になるようです。ここでは出口を2つ挙げてみましたが、他にも色々あると思います。自分にとってめんどくさくて動き出すのが億劫な方法で、出口を探すのがおすすめです。
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