スピリチュアルは怪しいって自分でも思うんだよなあって話
スピリチュアルは怪しいって自分でも思うんだよなあって話
スピリチュアル、世間一般的に知られる分野でありつつも依然「なんかふわっと怪しい」印象があるように感じます。
別に明確に言語化できるわけじゃないけど、素直に「わー興味ある!」ってなかなか言えない。
どれくらいの距離感を保った方がいいのかな、と頭のどこかで考えながら、それでも興味があるからちょっとだけ近づいてみる感じ。
…うん。
私は元々スピリチュアルに興味があったわけでもなく、まして霊視したり第六感的なもので人助けがしたいなんて微塵も考えたことがなかった者です。
ほんと、なんで私こんなことしてるんでしょうね…!!!
気づけばこんな「宇宙の法則オンライン講義」とかブログに書いたりTwitterで漫画描いたりさあ…
うつ病を治そうと頑張って自己内観したり自分を深く探究していった結果、なぜかそういう感覚が鋭くなっていた……という。狙ってもなかったし意図してたわけでもなかったので、完全に想定外です。
多分、スピリチュアルに肯定的な方からすれば「それもお導き」って感じなんだろうな。
でも個人的には「いや、これは…事故だよ…」って気持ちです。私の人生、こんなはずじゃなかったもの!今はある程度納得してやってますが、納得するまでまああああ時間かかりました。
だからやっぱり「スピリチュアルは怪しい」っていう感覚は、自分の中にあるんですよね……依然として。
だって…
だって怪しいじゃん……!?
そんなこと言ってる身で「霊視カウンセリング」とか「霊体ビジュアルデザイン」とかよくやるよな!?って感じですが。怪しさ120点満点。
実際、自分でも矛盾を抱えながらやってるなあって自覚あります。
怪しい人になりたくない、変な人って思われたくない、常識的な人でありたい___って思いながらやってることはこれだもんな!?
知り合いに「この人…どうなんでしょう?」って言われた
先日、私の個人的な知り合いでこちらの活動のことを知ってる方がこんなことを言ってきたんです。
「この人なんですけど…、どうでしょう、怪しいですかね?」
そう言って見せてくれたのは、スマホの画面。とある不思議な世界観のサイトでした。
ぱっとみたところ、どうやらスピリチュアルや占い、宇宙関連のことについて研究したり発信する団体のようでして。活動内容は、どうやら霊性や占い分野の研究や発信。
第一印象は「おお!怪しい!」でした。
しかし、いやいや待てよ?と。自分、一体どの立場からそんな「怪しい」とか言ってるんだ?自分だって十分怪しすぎるだろ。
ふと我に返って自分のプロフィールを改めて見直しました。客観的に。
うわああああああ怪しい!!自分も負けず劣らず!!
なんだよこれ!?怪しい!ひどい!よくよく冷静にみてみたらどう考えても怪しさしかない!!!なんだ世界運営局って!?
自分なら絶対に関わりたくない人種!自分だけど!
スピリチュアルに対してあんまり興味がない人が実際にそういう活動をすると、なんか……こういう大きな矛盾に立ち会うことになるんですね……
いえ、わかっていましたけども。
それこそこんな活動をする前からわかっていましたよ。この矛盾を抱えることになる、だなんてね!!
私が頑なにハイヤー姉さんたちの存在を認めたくなかった理由も、主にこれです。
霊的な存在を自分で認識していながら、それを100%スッキリ受け入れられない。
なのにそこから得た情報で人様からお金をいただいている。
そして何故かそれで本当にお役に立てている(らしい)。
その事実があってもなお、やっぱり完全に信用しきることは、できない。
この矛盾を抱えて生きるのは酷です。自分で自分のしていることを半分信じて半分疑いながら生きるのは、あまりにも酷だです。
その矛盾さえ受け入れてこの先何十年も一緒に生きるなんて、
めんどくさいにも程がある。
あーーーーーー私は怪しいひとですーー!変な人ですーーー!普通じゃないですーー!やばいと思ったり嫌だなと思ったらフォローはずしてねーーー!別に無理に見てほしいわけじゃないからーーーー!あーーーーーーー(何か見た)
— 箱白@次の同人誌どうしよっかな (@white_cube_1_) February 13, 2023
人はなぜ、スピリチュアルに惹かれながら警戒するのか
スピリチュアル、目に見えない不思議な存在。怪しい、胡散臭い、そう思いながらも何故か惹かれてしまう。
____なんででしょうね。
これはこれまで高次のものから教わった知識や視点を踏まえた、個人の考察ですが。
人は、人として生きることを目的に、地上に生まれてるんですよね。
あまりにも高次の感覚に寄りすぎたり人間として生きる感覚から遠ざかってしまうと、そもそも今ここに肉体を持って存在する意味を失ってしまう。
だから、スピリチュアル的なものに忌避感を覚えたり「怪しい」「嫌だ」「怖い」って思うのはある意味で本能なのでしょう。霊的な世界に興味を向けすぎると、現実の物質社会での生活が二の次になってしまうから。
自分の本来の生きる目的を見失わないように、高次と一定の距離感を保つことで「人間」であろうとする。そんな危機回避的な本能ではないかと思います。(ね、そうだよねハイヤー姉さん?)
でも一方で、元々人間にはある程度第六感が備わっているものだし、今たまたま地上で肉体を持って生きてるけど私たちは本来はエネルギー体。
この世ではない場所にいた頃の記憶をちょっと失ってるだけ。
そう考えると、自分が元々いた世界に興味を持つのは至極当然のこと、にも感じます。
知らないことを知りたい、という気持ちと、忘れていたことを思い出したい気持ちと。でも完全に思い出してしまうと、人間として生まれてきた意味がない。
だから「怪しいのに興味がある」「興味はあるけど怪しいと感じる」____そりゃ矛盾した気持ちを抱えながら生きることにもなるよねえって思うのです。
スピリチュアルや霊的なものに対して強い忌避感を感じるのは、ある意味でとっても人間らしいこと。
人間として生きればこそその感覚があるのであれば、それを手放しては勿体無いんですよね。
____人間として生まれて生きてるんだから、人間生活を全うするためにも、自分は人間的な感覚を大事にしようと思います。
って、思いながらも実際はきついよ!
だって、矛盾した気持ちをそのまま肯定するってそんなに簡単なことじゃないもん。
こうしてブログを書いていかにも「全て受け入れてます」感を装ったところで、実際の私はそんなに達観してないし、苦しいと感じる時はやっぱり苦しい。
理屈を自分で並べても、やっぱりきついものはきつい。
そんなキツさもまた、地上で生きればこそだなあと思いました。
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